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総評 (仮) 3月20日火曜日00:00確定

前年王者『ラストリベリオン』は、KOTY(クソゲーオブザイヤー)に新たな歴史を刻んだ。

据え置き機ゲーム業界を「重厚長大主義」が支配し、意欲作が生まれにくくなっていた閉塞感……

そんな中で、颯爽と現れた次世代機の新星は、

「物理」の力で全ての挑戦者を打ち祓い、KOTY史上初の先行逃げ切りを達成した。

次々と門前払いを続けるその雄姿は頼もしくもあり、

一方で、ある種の不安をスレ住人達に植えつけていった。



「クソゲーが来なくなった時、我々はどうなるのだろうか」



果たして、その予感は現実のものとなった。

前年の審議終了から実に8ヶ月もの間、KOTYの門を開くものは現れず、

長い長い停滞が、スレを包むこととなる。

前年王者の「鉄壁の守護」がもたらした平和はやはり、飢えと隣り合わせの因果なものであったのである。



雲間から光が差し込み、ようやく稲穂が実り始めたのは10月のこと。

サイバーフロントによる恋愛ADV『code_18』(通称「c18」)。

神ゲーとして名高い『Ever17』を擁する「infinity」シリーズの最新作である。

だが、「c18(しーじゅうはち)」という不吉な略称ゆえに呪われる運命にあったのか、

発売当日に本スレでは購入者の悲鳴がこだまし、それを尻目にプロデューサーは雲隠れした。

まず大筋を解説すると、作中で時間が循環している設定の「ループもの」である。

しかし、あろうことか周回ごとに攻略対象を完全固定しており、さかのぼって攻略するのは不可。

BADエンドの分岐に気づかず上書きセーブした場合、問答無用で1周目からやり直しとなる。

その内容も4周目までは盛大な徒労であり、最後の5周目には「正ヒロインの正史」以外を全否定する結末が待っている。

だが、本作の悪評を決定づけた最大の原因は、盛り上がりを台無しにする演出ミスの連発だ。

感動の場面でキャラの顔が見切れているのはまだ序の口であり、

会話の最中にキャラが分身するのも日常茶飯事で、ひとたび電車に乗ればヒロインの家の中でも轟音が鳴り続ける。

誤字脱字はおろか脱文、果てには文章とグラフィックの食い違いすら完全に放置されており、

「真っ暗なお化け屋敷」は昼間の明るい教室で、「きわどいレザースーツ姿のヒロイン」はいつもの学生服で登場する始末。

挙句の果てに、「スカイタワー」でのラブシーンは背景がなぜか「浅草寺」になっており、

そのヒロインのEDでは最後のCGがサブリミナル効果のごとく一瞬しか表示されない。

プロデューサーは以前、「code_18はInfinityシリーズの入門編」と発言していたが、

察するところ、彼らのゲーム制作における入門編だったようだ。



こうしてひと粒の収穫を分かち合うスレ住人たちだったが、この時はまだ誰も知る由もなかった。

立ち込める冬枯れの銀杏の香りに紛れて、「年末の魔物」どもがこちらの様子を伺っていたことを……



12月も近づこうとした時、突如KOTYスレを襲う黒い影が現れた。

D3 PUBLISHERから発売された『街ingメーカー4』(通称「待」)である。

「街ingメーカー」は、これまでにも何作も出ている人気シリーズ。

その特徴は何と言っても、

「街の人々と会話して、意見を取り入れながら街を発展させていく」

という独自のジャンルを開拓したことにある。

だが本作は、前作まで各建物に入れたはずの主人公がなぜか出入禁止状態になっており、

街の人々は揃いも揃って「家に帰ります」、「寿司に行きます」など心底どうでもいいことをつぶやくのみ。

「無縁社会」の言葉に象徴される現代日本の疎外感をたくみに演出していると言えよう。

肝心の街づくりパートも、7140円のフルプライスを微塵も感じさせない仕上がりだ。

ゲーム本編のBGMは昼と夜の2種類しかなく、建築可能な物件の種類も前作から激減。

学校は小中高大のどれでもない謎の「総合学園」と「伝統ある学園」(有料)のみで、

郵便局や交番など、最低限の社会インフラを司る施設すら存在しない。

色や形も建物につき1種類しか無く、「これなら積み木で遊んだほうがマシ」と評される始末である。

街を開発するには「ポイント」が必要であるが、中盤以降は一、二個の物件を建てるだけで枯渇。

ゲーム内時間で一昼夜、実時間で10分が経過するまでポイントは振り込まれず、その間じっと待たなければいけない。

クリアまではたった6時間であるが、その大半は上記の「待ち」時間であり、空虚を極めることとなる。

いつしか本作は「街」づくりゲームではなく、『待』と呼ばれる何かとして扱われるようになった。

その「極薄さ」ゆえ、どこぞの前年王者のごとくトロフィーや実績のコレクターから歓迎されたことも付記しておこう。



それと同日、KOTYのコロッセオに殴り込んできた狂戦士がいた。

アクワイアの『グラディエーターバーサス』(通称「剣投資」)。

本作は対戦格闘アクション「グラディエーター(剣闘士)」シリーズの最新作であるが、

電撃プレイステーションで『四八(仮)』と同じ最低ランクの評価を獲得し、一躍注目を集めることとなった。

まず目に付くのは、キャラクター作成機能の前代未聞のショボさだ。

公式PVが謳う「10000種類以上の容姿」は、実際には首から上のパーツが数種類ずつ選べる程度で、

ゲーム中は兜ですっぽり隠れるため、実質的なバリエーションはたった3通り(「種族」)と肌の色しかない。

ゲームの内容はミッションクリア形式の「乱戦バトル」だが、旧作で人気だった駆け引き要素を完全削除。

これにより連打とゴリ押しくらいしかすることがなく、壁際で敵を一方的にいじめる作業が延々と続く。

一緒に戦う味方NPCは三歳児並の知能で、加えてプレイヤーのことが嫌いで仕方ないらしく、

隙あらばファイナルファイトばりにパーティアタックやコンボ妨害を仕掛けてくる。

また、本作を彩る最大の特徴は、あこぎな有料DLC(ダウンロードコンテンツ)である。

自キャラを2つより多く保存したければ課金が必要、

強力な装備を「購入する権利」を得るには課金が必要、

デフォルト3種類以外の顔パーツを使いたければ課金が必要……

冷静に考えるまでもなくどれも「出来て当然」のことであり、「基本無料」のゲームも顔負けの商魂たくましさが光る。

装備強化のDLCも今流行りの「ガチャ方式」であり、あまつさえ「ライバルに差をつけろ!」などと課金合戦を煽る始末だ。

開発者自らオンライン対戦に出撃し、過疎の中で頑張っていたランキング上位勢をフル武装で虐殺する愉快な一幕もあった。

かくして、あの手この手でリアル投資を煽る本作には『剣投資』の愛称が与えられた。

公式サイトがウィルスバスターから「オンライン詐欺に関係している兆候があります」と喝破されたのも致し方あるまい。



こうして温まってきた武舞台に、凄まじい「気」と共に飛来する存在があった。

バンダイナムコの3D対戦アクションゲーム『ドラゴンボール アルティメットブラスト』(通称「UB」)だ。

本格的な原作再現で人気を集める「レイジングブラスト」シリーズの流れを汲む本作であるが、

何を思ったか、キャラゲーの核であるキャラ数を40人近く大幅削減。

「おめえの出番ねえから、悟飯!」とばかりに悟飯(青年版)を削除する一方で、

汚い花火(キュイ)をわざわざ入れるなど、こだわりの人選が光る。

大量リストラのしわ寄せで、ストーリーモードはスカスカの歯抜け状態であり、

ベジータが死ぬ名場面では息子のトランクスが声のみの友情出演という惨状だ。

あまりの人手不足を見かねたか、フリーザ戦では悟空が一人二役するバグが発見される椿事もあった。

他方で、格闘ゲームとしての核をなす「駆け引き」要素について触れると、

本作においては「ムービー(QTE)中にボタンを押してジャンケン勝負」の一言に尽きる。

いわゆるただの「運ゲー」であるが、本作ではこのジャンケンの頻度が異常に高く、

通常攻撃、受け身、必殺技……と、あらゆる局面でジャンケン、ジャンケン、ボタン連打の嵐。

ただでさえキャラが少ないのに演出も全キャラほぼ共通であり、プレイヤーを瞬時に飽きさせる。

アバターモードではオリジナルキャラが作れるが、選べるパーツが異様に少なく、

必殺技を覚えさせるための長時間の「修行」プログラムには大量のスカが混入。

その内容も大部分がジャンケンであり、フルコンプには80時間ほどの耐久ジャンケンを強いられる「心折設計」だ。

円熟期の次世代機クォリティを遺憾なく発揮する美麗なグラフィックとは裏腹に、

ゲーム性は昔懐かしの『ジャンケンマン』の時代まで原点回帰してしまったと言えよう。



「魔物」たちの瘴気に引き寄せられたか、さまよえる亡者も姿を現した。

またもアクワイアによる、PS3向けDL販売ソフト、『Wizardry 囚われし亡霊の街』(通称「亡霊」)。

古典RPGの金字塔である「ウィザードリィ(Wiz)」の再興を掲げて制作された作品である。

「コンピュータRPGが我々に与えてくれた、あの緊張感、高揚、悲壮感・・・それを現在の技術で蘇らせたい」

製作者がそう語る通り、Wizの魅力を端的に言えば「隣り合わせの灰と青春」。

全滅やキャラ消滅の恐怖と戦いながら、探索や宝探しを続けていくスリルである。

だが、その理念は製作に生かされることなく、旧作ファンの期待はあえなく裏切られた。

静止画なのになぜかもっさりと処理落ちする戦闘画面に、お役所のごとく何度もたらい回しにされるストレスフルなUI。

仕掛けらしい仕掛けがない単調なダンジョン構成に、序盤の雑魚が最強武器を落とすという腐りきったゲームバランス。

初日に発覚した「プレイ中にセーブ不能になるバグ」にいたっては、未だに根絶されていない始末である。

変わり果てた名作の姿に嘆き悲しむプレイヤーたちであったが、数ヶ月後の最終章の配信でついに断末魔の悲鳴が上がる。

そこではモンスターの能力だけが単純に倍加され、「エンカウント=全滅確定」の罰ゲーム状態となっていたのである。

クリアする方法自体は、「無いわけではない」。

普通にやると適正レベル到達に数百時間かかるが、怪しげな方法で所持金を増やして経験値を買う作業に徹すれば数十時間。

エンカウント完全回避のアイテムをDLCで購入したり、数歩ごとにセーブ&ロードを繰り返してひたすら敵を避けても良い。

だが、そんな馬鹿げた作業のどこに古き良きWizの情趣が存在するというのだろうか。

そして、そんな苦行に最後まで耐えたプレイヤーを待つのは、文字通り一撃で死亡する脱力モノの激弱ラスボスであり、

ご丁寧に、製作者のうっかりでアイテムコンプリートも不可能という有様だ。

こうしてWizを愛するプレイヤーは一人、また一人と灰になっていったのであった。



そして、機は熟したとばかりに、今年もまた修羅の国の猛者が風雲に乗じた。

Piaキャロットへようこそ!!4 〜夏の恋活(バイト)〜?』(通称「Pia4」)。

F&Cから出た同名のアダルトPCゲームを、PIACCIがXbox 360に移植したものである。

「Piaキャロ」シリーズは過去に映画化もしている「名門」であるが、今作を一言で言えば「没落貴族」。

ヒラメ顔と化した旧作ヒロインや、サバンナにしか見えない「陸上競技場」の背景など、

中韓丸投げアニメのごとく崩壊しきった作画が涙を誘う。

だが、本作の一番の問題点はシナリオである。

もともとエロの「つなぎ」程度でしかなかった代物から18禁部分を強引に削り取った結果、

「格ゲーをしていただけなのに、気付いたら彼女ヅラされていた」

「気付いたら従姉を妊娠させていた」

「気付いたら実妹と一線を越えていた」

と、身に覚えのない事実を次々と突きつけられるサイコホラーと化してしまったのである。

素のシナリオはと言うと、主人公「羽瀬川太一」が極めて不快指数の高い人物であり、

嫌がるヒロインの自宅のチャイムを毎日鳴らし続けるストーカー行為や、

一旦諦めた陸上をまた再開したい、と言いながら一向に走らない「走る走る詐欺」に延々と付き合わされる。

また、育成SLG要素もあるが、セーブ&ロード必須のシビアさの割にシナリオ本編の内容には一切関係しない。

その一方で、最後の最後でパラメータが少しでも足りないと唐突に共通BADエンドに突入する嫌がらせ仕様でもあり、

その場合の結末にも絶句せざるを得ない。

「この一ヶ月はなんだったんだろう(要約)」と、主人公が妹に吐き捨てて実家に帰るのだが、

たとえヒロイン(目の前にいる実妹含む)を攻略完了していようが完全放置であり、要するに「ヤリ捨て」である。

より詳しくは、勇気ある特攻者による130キロ恋活(バイト)のプレイ手記をぜひ参照して頂きたい。



さて、役者が揃ったところで審議に入ろうという時に、一通の意外な選評がスレに届いた。

それによれば、前回KOTYの審議結果に対する「申し開き」とも取れるソフトがひっそりと発売されていたという。

なんと、KOTYの常連であり、2008年を制した古豪「タカラトミー」が、

前回ノミネートの『人生2』ほぼそのままのマイナーチェンジ版を世に送り出したのである。



それが『人生ゲーム ハッピーファミリー ご当地ネタ増量仕上げ』(通称「誤当地」)だ。

5年目に突入したタカラトミーの連続ノミネート記録に敬意を表し、改めて検証が行われることとなった。

まず本作は、申し訳程度の「ご当地」ネタが追加された以外に前作からの変更点が絶無である。

すなわち、プレイヤーが使えるのは基本的に男女計10人のキャラだけで、名前を含めたカスタマイズは一切不可。

生まれる子どものグラフィックも、男の顔に女の髪型を混ぜただけのオカマや、親と全く同じ組み合わせのクローンを量産。

イベント数も相変わらず極少のままであり、同じ子どもが麻疹にかかる様子を1プレイで何度も何度も見ることになる。

また、新たな検証の結果、前回解き明かされなかったクソ要素も余すところなく暴かれた。

ゴール付近での一発逆転要素は、旧作と違って「とりあえず賭ければ当たる」上に「そこだけで全ての勝負が決まる」代物。

いくら負けようが借金は一律踏み倒しであり、「正直者が馬鹿を見る」という不条理を垣間見ることになる。

そもそもゴールしても発表されるのは「順位」のみで、それまで貯めてきた「総資産」は表示されずに終わるため、

一体何を競って長々とゲームをしてきたのか全くわからない。

では、新たに追加された「ご当地」要素についてはどうなのか。

「加賀友禅は入れ歯入れに丁度いい」、「熊野筆はくしゃみを出すのに便利」など、郷土の名品を愚弄するだけでなく、

「長野県民はカラオケで必ず県歌を歌う」など、県民性を頭から決め付ける「誤当地」知識も混入。

日本各地の地元住人についても、2,3種類の汎用アバターを全力で使い回して横着しており、

鹿児島に出てくる「100歳超えのおじいさん」はどう見ても若いサラリーマンである。

こうして、クソゲーにさらなるクソ要素を盛り付けて、なおかつフルプライスで再販売するという前代未聞の蛮行……

もとい前人未到の偉業はスレ住人を震撼させ、本作は見事「再評価」による大躍進を果たしたのであった。



以上、ノミネート7作品の紹介を終えたところで、今年の大賞を発表しよう。

最強の武器を持った作品群が各々の武器で殴り合い、血煙舞う戦場と化した2011年。

最後まで生き残り、見事栄冠を手にしたのは……



『人生ゲーム ハッピーファミリー ご当地ネタ増量仕上げ』である。



今回の審議は非常に難航した。

7作品全ての実力が拮抗しており、さらにほとんどの選評が年末に一気に押し寄せたため、情報が圧倒的に不足していたのである。

これに対し、年明け以降も勇敢な爆発物処理班が次々に出撃し、数多の犠牲のもとに検証が進められた。

その結果、『Pia4』は歴戦のスレ住人たちをして「真面目にプレイした際の苦痛度では『四八』より上」とまで評せしめ、

苦痛が続く時間という点で文字通り桁が違う『亡霊』もまた、最後まで底知れぬ威圧感を放っていた。

そんな中で『誤当地』が大賞となった決め手は、一つには、前作において見過ごされていた部分だ。

当初、本作は「一人プレイは論外としても、みんなで囲んでプレイすれば多少はマシだろう」と推測されていた。

ところが実際に多人数プレイした結果、

「つまらなすぎて場が凍りついた」

「夫婦仲が険悪になった」

「友情ブレイクした」

などの、予想外の報告が内外から相次いでもたらされたのである。

雰囲気が悪くなること自体は、この種のパーティゲームの宿命ともいえよう。

だが本作のもたらす険悪ムードは、通常考えられる「ゲームを白熱させすぎた結果」とは逆に、

「手抜きと極悪テンポの無間地獄によって氷点下まで冷え切った結果」なのだ。

イベントはただつまらないだけでなく、始まって数十分で枯渇が深刻化。

何度も同じ話を見るだけの苦痛を数時間強いられ、場を囲む者は誰ともなく沈黙に陥っていく。

ゲーム進行のテンポも最悪であり、スキップ不能な数秒のアニメーションが資金や能力のちょっとした変化のたびに挿入。

しかもこれが、子どもが生まれるマスに止まるとしばらくの間は倍増するため、表題の「ハッピーファミリー」とは裏腹に、

「ガキ作るんじゃねえよめんどくせえ!」と怒号飛び交う育児ノイローゼがプレイヤー間に蔓延する。

とどめとばかりに、数時間のイライラに耐久したプレイヤーをお出迎えするのは、

それまでの成果を全否定するゴール直前の一発勝負ギャンブルだ。

このように本作は、多人数プレイ用のパーティゲームでありながら高確率で雰囲気をぶち壊し、

無理に続行などしようものならパーティムードもろとも友情を粉砕しかねない。

その破壊力は、自分一人が苦行に耐えればいい他のゲームとは全く性質が異なるものであった。

本作は、歴戦のクソゲーハンターをして「このゲームで遊ぶのは危険だ」と思わせる新次元の恐怖を持っていたのである。



だが、こういった無言の間や友情破壊による「多人数プレイの恐怖」すら本作にとってはサブウェポンにすぎず、

再検証によって明るみになった本当の真髄は別のところにある。

それは、人数に関係なく、「プレイすることそのものの無為さ」である。

本作は人生ゲームというタイトルでありながら、自分の意思で選択したり賭けたりすることがほとんど出来ない。

メーカーによって仕組まれた運命を歩むしかない、無力感あふれる「出来レース」なのである。

カードや妨害などの駆け引き要素はことごとく削除され、プレイヤーに許されるのは機械的にルーレットを回す行為のみ。

同じイベントを避けることも、ステージを変更することも叶わず、子供を生みたくなくても避妊する自由さえない。

イベントの選択肢は人生に何の影響も与えず、職業選択や転職の成果さえ前述の一発逆転ギャンブルにより全否定。

作中で「買い物」できるアイテムの影響力もことごとく皆無で、価値がろくに変動しない株券を掴まされるなど、

何一つ意味のない空しい人生を歩むことになる。

極めつきに、様々な場面の確率分布が統計学的に見て明らかに偏っているという驚愕の事実が発覚した。

第一に、ルーレットは3の出る確率が異常に高い「牛歩戦術」仕様であり、いつまで経っても遅々としてゴールに着かない。

第二に、ランダムな相手にハプニングを起こす「おじゃましマス」では特定プレーヤーに集中砲火が起こるため、

ゲームが開幕した時には既に勝ち組・負け組のレールに乗せられているのである。

意思や戦略で工夫する余地が無いどころか、運命をも操作されているためもはや「運ゲー」ですらなく、

敢えて言うならば、「遊んでいる」というより「ルーレットを回す歯車の一部となっている」。

本作の抱える問題は、「ゲームをプレイするとは一体何なのか」という哲学の領域に踏み込んでいると言えよう。

「ゲー無」と呼ばれた元祖『人生』の系譜を継ぎ、「無い」ことにかけては他の追随を許さない本作であるが、

それに加えてもはやプレイしているとさえ言えない「無為さ」が決定打となり、辛くもこの大激戦を制することとなった。

振り返って見るに、今回のKOTYの争点は検証に次ぐ検証による各作品の「ポテンシャル」の徹底究明であり、

前回への「申し開き」とばかりにスレを訪れた『誤当地』が本懐を遂げたのは象徴的なことであった。

もし前作がこのポテンシャルを完全に発揮していれば、前年王者との勝負の行方もわからなかったと言えよう。



もしもクソゲーが最後まで現れなかったら……

諦めにも近いそんな不安が長く尾を引いていた一年であったが、終わってみれば杞憂であった。

最初のノミネートからわずか2ヶ月半で7作品が集結する、カンブリア爆発さながらの事態である。

『c18』、『待』、『剣投資』、『UB』、『亡霊』、『Pia4』、そして『誤当地』。

これらは全てが「シリーズもの」のゲームであり、ファンを深く失望させたことから「七つの大罪」などと呼ばれた。

方針転換をしようとして完全に失敗してしまった作品もあれば、そもそも何故出したのかわからない作品もある。

だが、震災から続く諸々の逆境の中でゲームを発売した、その勇気については素直に讃えるべきであろう。

「自粛」は何も生み出さず、まずゲームがなければ、それを取り巻く悲喜交々も存在しないのである。

そして我々は、生まれてしまった怒りや悲しみを笑い飛ばすことで、常に新しい気持ちで次作への期待を馳せたい。

願わくは、2012年もゲーム業界全ての活力がますます栄えるよう、祈るばかりである。



最後に、この苦難の時代に「人生はクソゲー」と憂える諸氏に向けて、スレ住人一同からこの言葉を贈ろう。





「大丈夫、俺たちの人生はタカラトミー製じゃない」