リンク

総評

2020年は、年間を通して世界中が苦境に立たされていた。
 
ウイルスと人間のいたちごっこが繰り広げられた現実に連動するかの如く、2020年度のKOTYは俎上に載ったクソゲー達も過去の例にはなかった種類すなわち「変異」が見られた。
 
KOTY2020大賞受賞作は、開発者の熱意と問題要素の「飴と鞭」がスレ住人のみならずネット界隈を広く惹き付けた「ファイナルソード」(通称:ファイソ)。
これを筆頭に、計5作品はいずれも新たな方向性の香ばしさを備えていたのである。
 
KOTY2020というワクチンを完成させたスレ住人。
彼らは「クソゲーは自らの手で片づける」という初心に帰り、休む暇もなく2021年度の「クソゲーとKOTYのいたちごっこ」へ颯爽と飛び込んでゆくのであった。
 
***
 
立春を過ぎた頃。
豆を投げて追い払った筈の鬼が、上空から奇襲を仕掛けてきた。
Nintendo Switch用DLソフト「Pacific Wings」(通称:パシフィック)である。
 
本作は1942年のミッドウェー海戦を舞台にした、レトログラフィックが売りの縦スクロールシューティングゲームである。
しかしながらその実態は驚異的な内容の薄さを誇っていた。
攻撃方法はショットのみ。
「4種類の武器を強化可能」と見せかけ、実際は「全4段階の単純なショット強化」。
背景は同じ物が延々ループし、BGMは二種類のみ。
ボス機体は登場せず、他のボーナススコア加点手段もなし。
ゲーム説明には「多彩な敵機」とあるが、実際は8~10種類程度。
 
また、本作は「人生で初めてシューティングゲームを遊ぶ人向け」を想定したかの如き親切設計がそこかしこに見られる。
敵機の攻撃パターンは類似したものが多く、いずれも倒し方に工夫はいらない。
後方画面外からの攻撃がある時は必ず「気を付けて」と画面上で注意喚起してくれる。
ショット強化完了後にパワーアップを取得すると、残機として最大15個までストック可能。
 
難易度を「やさしい」に全振りした豊富すぎる救済策を用意したばかりにその「やさしさ」が徒になってしまう事を、開発者はどこまで自覚出来ていたか。
 
ボスもやり込み要素も出てこない中、ショットを最大限まで強化すれば画面内の敵をいとも簡単に一掃可能。
1ステージの所要時間が一律約1分半のところ、これらの「親切すぎる設計」が全20ステージ連続すると何が起こるか――「ゲーム」から「作業」への変質である。
スレ住人が「80年代に出ていたとしてもクソゲー扱い」と吐き捨てるのも道理であろう。
 
そもそも本作は既にスマートフォンやWindowsPC向けのアプリ版が存在するが、ほぼ同じ内容で無料。
つまり本作は有償なのに無料でDL可能なスマートフォン/PC版の劣化でしかない。
※WindowsPC版は総評案筆者が実際にDLし遊んでみたものの、そもそもキーボードの反応が遅くまともに移動が出来なかった
 
更に本作配信開始から僅か2週間後には、本作の元ネタと呼べるカプコンの「1942」を含む往年のアーケードゲームを数作まとめて収録した「カプコンアーケードスタジアム」が配信開始。
ただでさえ無料版の劣化移植である「パシフィック」は「1942っぽいゲームが安価で遊べる」という唯一の存在意義を失い、あえなく鬼退治された。
後に残った「虚無」と言う名の金棒が、KOTY2021の幕開けを静かに告げていた。
 
***
 
上空からの奇襲に生命の危機を感じた紳士達は、急激に高まった生存本能をどこかで発散せねばと盛り場へ潜り込む。
ところが奴らを待ち受けていたのは、昂ぶった欲望を萎えさせる低品質接客もとい「パチ・パチ!ON・A・ROLL(通称:オナロール)」であった。
 
PS4/PS VITA/Nintendo Switch向けにDL専用ソフトとして配信された本作。
日本のパチンコから着想を得た「ピンボール」に「ゲームの進行で美女の服を脱がせるタイプのお色気要素」を加えた新ジャンル「脱衣ピンボールゲーム」である。
※選評に倣い、言及する対象はNintendo Switch版のみとする
 
脱衣の標的は、ピンボール台の背景でLive2Dを使用したかの様なくねくねした動きの巨乳美女・フジコ(茶色いロングヘアの女性)とロビン(青髪の眼鏡女子)。
二人はステージ毎のコンセプトに合わせた衣装を着用している。
この衣装をひん剥きつつハイスコアを狙いピンボールで様々なミッションをクリアしていくのが本作の特徴……と言いたい所であるが、残念ながら得られたインスピレーションからイノベーションを起こす事には失敗してしまった。
 
操作方法は我々が一般的に想像するピンボールと異なっている。
「玉を掴みながら画面上部を左右に動くUFOキャッチャーのアームがあるので、玉を離したいタイミングでボタンを押す」たったこれだけ。
シンプルと言えば聞こえは良いが、一度発射したら玉が画面下へ落ちきり穴に入るまでプレイヤーは一切玉の挙動を操作する事は出来ない。
台自体の仕掛けにも左右されるが、検証者によると大体15秒は待たされる。
なお玉の連射は不可能な他、ボーナス演出が入るとファンファーレが約30秒間鳴り響きその間も操作不可能となる。
一応途中でブロック崩しや本家ピンボール等のミニゲームを遊びスコアアップが図れるが、再現性の高いバグが眠っておりゲームの面白さに貢献するものではない。
更にハイスコアを目指しミッションをクリアしようとすれば、運が絡むパチンコ由来の性質が牙を剥く。
これに加え連射不可能な仕様と「動き回る的に一定回数弾を当てる」等の理不尽なミッションを悪魔合体させたシステムが、プレイヤーに無駄な待ち時間と苛立ちの感情を提供する。
 
これまで記載してきた分だけでもクレームがつきそうな内容であるが、本作は「美女を脱がせられればそれで良し」と割り切る変態紳士達に対する嫌がらせも抜かりない。
 
本作を「脱衣ピンボールゲーム」と紹介する際に1点書き忘れていたが、コンシューマ版で披露されるのは下着姿まで。
1枚ずつしか脱がせられず、CERO:D止まりである。
おまけに脱衣の条件も「台の中に紛れている桃色のピン1本につき3回弾を当てる」と、画面の小さい携帯機派を切り捨てる男気ぶり。
玉を操作する爽快感が伴えばゲーム性を高める工夫となり得たのかも知れないが、後の祭りである。
そうして途方もない苦労を重ねたところで、脱衣演出は「聞き逃しそうないかがわしい声と同時に服が一瞬で消える」のみ。
2人の人物掘り下げが皆無な為、脱がされる彼女達には気の毒であるが終始ピンボール台の背景以上の思い入れを持つには至らない。
 
純粋な遊戯としても大人の娯楽としても最低基準を下回るサービスばかりを提供され、萎えきった紳士達は皆真顔(・A・)で盛り場を去る。
そして「オナロール」を即刻KOTY話題作入りさせるのであった。
 
***
 
変態紳士達の尊い犠牲で盛り場の危険性を把握したスレ住人は一斉に、最も安心出来る我が家で引きこもる選択をした。
しかし外部への警戒を怠ったばかりに、KOTYスレは未曾有の事態に巻き込まれる事となる――。
 
3月も半ばを過ぎた頃、桜の蕾に導かれた脳筋が繁華街に出現した。
その名は2人用2D対戦格闘ゲーム「Urban Street Fighting (アーバンストリートファイト、通称:アーバン)」。
本作はNintendo Swith用DLソフトとしてリリースされる前から、「セガサターン時代」と揶揄される時代遅れのグラフィックがKOTYスレでも注目されていた。
プロモーション映像から醸し出される「見えている地雷」っぷりは、ニンテンドーeショップのチェック体制を疑う者が出る程であった。
果たして「アーバン」は、出来れば応えて欲しくなかった期待にしっかり応えた。
 
まず本作を起動すると「操作説明」及び「トレーニングモード」の不在により、プレイヤーは文字どおり実戦経験でしかキャラクター性能を確認する事が出来ない。
PvP(対人戦)を疑似トレーニングモードに見立てたスレ住人が自らを実験台に操作方法を検証してゆくと、次々に新たな問題点が発覚した。
 
特定の条件でPvPモードをソロプレイすると、2Pの操作が1Pに連動するバグがある事。
使用可能キャラクター6人の内、実質記載の半分しか操作キャラがいない事。
ポーズボタンのつもりで+ボタンを押したら、対戦が終了してしまう事。
コマンドのキャンセルが利かない事。
前のモーションが完全に終わるまで次のコマンドを繰り出せない事等々。
代表的な問題点を挙げるだけでも、本作は対戦格闘ゲームとしての体を成していない事が丸わかりである。
 
それもそのはず、本作の内容はUnityで販売されている格闘ゲーム制作支援ツールで制作されたサンプルゲームほぼそのもの。
キャラクターの動き・システム・画面の構成・フォントに至るまで素材の流用が目立ち、逆にオリジナリティを見出せるのが背景やコンパチキャラへのモーション適用位しかない。
その背景にしても操作キャラを隠したり一部のキャラクターを劣化性能にしたりと、なにひとつ美点に挙げられる部分が存在しない。
本作は到底「ゲーム」とさえ呼べない代物であった。
 
商品未満であったとしても、賑やかしとしてならまだ可愛げがあったのかも知れない。
しかし「アーバン」の真の恐ろしさは、「俺がルールだ」と言わんばかりに本作クラスの商品未満ソフト達で徒党を組んでいた点であった。
 
「アーバン」をリリースしたゲームメーカーは2021年の年間トータルで50以上のゲームをニンテンドーeショップでリリースした。
とてつもないリリース本数から想像が付くかも知れないが、その内情は「手抜き」の一言に集約される。
ゲームを作る為の素材やツールを少し改変しただけ或いは殆どそのままで販売してしまう、所謂「アセットフリップゲー」の大量生産で驚異的なゲームリリース本数を確保していたのである。
 
個々の実力は雑魚キャラであったとしても、全方向から絶え間なく向かってくるファイターの相手をしていればいかなる格闘技の達人でも疲労が蓄積してゆく。
「質より量」を地で行く「ゲー無」の大群にスレ住人は共倒れを危惧し、最悪の事態を防ぐ為の対策に踏み切らねばならぬ程であった。
 
これにより2021年7月よりKOTYスレのテンプレが暫定的に改訂され、KOTYで取り扱う対象は「CEROによるレーティング審査を通過したゲーム」という条件が設けられる事に。
有象無象の商品未満共は、新基準の前に淘汰される事となった。
 
***
 
年度途中のルール変更により、スレ住人はひとまず数の暴力から逃げる事に成功した。
しかしCEROレーティングという基準も完璧ではない。
 
10月に発売された「Super Arcade Soccer 2021」(通称:蹴球2021)はNintendo Switch・Xbox・PS4のマルチタイトルで展開するDL専用ソフトであるが、PS4版のみCERO審査済みという盲点でスレ住人に混乱をもたらしたのである。
 
本作は2019年度のKOTY次点に輝いた「SUPER ARCADE SOCCER」の2作目にあたり、シリーズ作品としては2作連続でKOTYスレ住人に見つかった形となる。
前作の時点でルールや操作性に問題点があると指摘されていた、「スライディングすると操作不能になる」バグは本作で修正。
更に各国代表チームやセリエAを再現したチームにしっかりとしたパラメータが設定される等、素直に褒められる箇所は存在する。
 
しかし残念ながら、操作性や判定は相変わらず劣悪。
パスのアシストがなくドリブルで突破した方がマシな点や、今作初搭載のスティールやヘディングは動作前に一瞬動きが止まる為痒い所に手が届かない点等は序の口。
前作同様、オフサイドがない。
何故か選手が透明になる。
客席にボールを放り投げる。
この様な意味不明な状況や挙動から成る細かな粗が僅かな美点をかき消してしまう。
 
「細かな粗」は数えればキリがないが、中でも致命的であったのは「ボールを保持している時にオプションボタンを押下し○ボタンで戻ると何故かプレイヤーがボールを後ろに蹴る」点であった。
本作では○ボタンがシュートもしくはタックルの操作に割り当てられる。
つまり「自陣でボールを持っている時ポーズを押すと、復帰時にそのまま味方ゴールに吸い込まれオウンゴールが決まる」といった笑えない珍プレーが発生する土壌が出来上がっている。
他にも「後ろからスライディングでファールになる確率が三分の一な代わりに、ファール判定の場合は最低でもイエローカードは避けられず一発でレッドカードになる事も多い」という謎判定と謎ルールの合わせ技が目撃された。
軽く引っかけた場合でもイエローカード扱いになるケースも散見され、遂には選評者をして基準を見抜く事は出来なかったという。
 
チームプレイが競技としての肝であるサッカーを題材にしておきながら、協調性を放棄するルール破綻と劣悪な操作性から孤独なドリブルさばきを推奨している様にしか見えない「蹴球2021」。
本作が世に出た意味を考え始めると頭を抱えてしまうが、敢えて挙げるとすれば。
未だ終わらぬコロナ禍がもたらした「ニューノーマル」の概念をスポーツの世界で如何に実践してゆくかという社会実験を、ゲームとして落とし込んだものであったのかも知れない。
娯楽作品としては落第としか言いようがないが。
 
ゲーム単体としてもシリーズ物としてもクソゲーとしての存在感を存分に放った「蹴球2021」は、審査基準変更後初のKOTY話題作入りへ無事シュートを決めたのである。
 
***
 
新テンプレの制定によりIARCレーティングしか通過していない泡沫のインディーズゲームは駆逐され、KOTY名物「年末の魔物」の襲来は避けられた。
対策は完璧。時折招かれざる「お客様」が押し寄せつつも、スレ住人達は比較的健康的な下半期を送る事が出来ていた。
 
ところが自分達で作り上げた平和が続くと、人間はそれに満足出来ずどうにかこうにか大義名分を見つけては争いを始めてしまう。
その様な人間の悲しい性(さが)を「クソゲーへの特攻」という形で体現してしまう、KOTYスレ住人達。
彼らは、「クソゲーが出ない事が一番良い」と頭では理解している。
それでも心のどこかでクソゲーとの戦いを待ち望んでしまったばかりに、別の魔物の死体を蘇らせてしまった。
 
***
 
その名は「バランワンダーワールド」(通称:バラン)。
発売自体は2021年3月下旬であり、ゴールデンウィークの頃にはKOTYスレでも話題にのぼった。
ところが検証者が次々失踪・選評としての要件を満たせない不十分な批評しか届かない等の経緯から一旦は捨て置かれ、そのまま年末年始に突入した曰く付きのゲームである。
 
本作は舞台ミュージカルがモチーフの箱庭探索型3Dアクションゲーム。
80種類以上もの衣装に紐付く固有の能力を駆使しながらアクト(他のゲームで言うと「ステージ」の事)をクリアしてゆく事で、12人の悩める老若男女の心を救う大筋になっている。
「すべてのアクションはここにある」とトレーラー映像で宣言した本作がクソゲーの烙印を押されてしまった所以について、主に3つの要素から説明を加えてゆく。
 
最初はストレッサーとしての「衣装システム」である。
本作では衣装が残機を兼ねているが、衣装入手には鍵が必要かつ再出現には約30秒のインターバルが発生する。
入手の手間がかかる割に、足場からの落下や敵の攻撃で喪失しやすいのである。
こういった仕様から、入手ポイントが1箇所しかない衣装を複数確保しようと試みる度に無駄な待ち時間が累積してゆく。
 
なお手持ちの衣装は3着までに限られ、それ以降は道中のチェックポイントから行けるクローゼットで切り替える必要がある。
しかも衣装の能力は上位/下位互換(例:空中歩行能力のジャンピングジャック→エアキャット→エアユニコーン)や特定のミニゲーム専用のものが多く水増し感を覚えてしまう。
更にジャンプ・固有アクション・キャンセルボタンを全て「アクションボタン」として割り振るワンボタンアクションに拘った結果「ジャンプの出来ないファイアマリオ」と揶揄される様になってしまった攻撃系衣装(例:デインティドラゴン)や、自由意志で発動出来ない「一定時間で能力ON/OFF自動切り替え」系衣装(例:ボックスフォックス)は使い勝手が悪く有用な衣装は自ずと限られてくる。
 
2つ目の「クソゲーたる所以」は「不親切さ」である。
開発者曰く「世界中の人に同一条件でプレイしてもらいたい」意図で架空言語「バラニーズ」を設定しつつ、テキストに頼らない演出を採用した本作。
ストーリー面でこの演出を採用した所までは悪くなかったが、「バラン」は1から10までこの調子なのである。
 
まずチュートリアルの概念は存在しない。
第1章アクト1で一応説明があるが妙に回りくどく、先にアクト2から遊んだプレイヤーには意味がなくなる。
「ティム」というひよこに似たお助けキャラの性能差や、本作で採用された難易度調整を司るメタAI「バランスAI」にしてもゲーム中では一切言及がない。
真面目に雑魚敵を倒し続ける程バランスAIが敵の数や強さを増した状態で再配置してくる事に気付かぬまま、「雑魚敵がすぐ沸いて面倒だ」と感じながらクリアしたプレイヤーもいた可能性さえある。
 
この様に物語もシステムも一律に「語らない」事を選択した結果、プレイヤーにとって必要な情報まで説明が省略されてしまった。
また本作は2人プレイが可能になっているが、開発の後半でねじ込まれ……
もとい導入されたモードの為か1P側のカメラが基準となり2Pが迷子になりやすい・2P側のみカメラ操作やポーズボタンが使えない等2Pに対して不親切な態度を貫いている。
カメラ操作のやりにくさに関しては、1P相手でも充分すぎるまでに不親切であるが。
 
3つ目は悪名高きミニゲーム「バランチャレンジ」。
全12章の心象世界を解放するには各章のボスを倒すだけでなく収集要素である「バランスタチュー」を一定数集める必要があるが、コンプリートを目指したいやり込み派にとってはこれが大きな壁となる。
バランチャレンジとは、1チャレンジで4~6回入力タイミングがあるQTE形式のミニゲームの事。
1アクトにつき1~3回挑戦する事になり、後半の章になるにつれ判定が厳しくなる。
バランスタチュー入手の為にはこれをノーミスクリアせねばならない。
しかしバランチャレンジがプレイヤーに唾を吐かれる勢いで嫌われる理由はこれだけではない。
 
数回に1回ある連打系以外は基本的に「映像中のバランとシルエットが重なった瞬間にボタンを押す」形式であるが、演出の都合でタイミングはシビア。
なお上記の映像は幾つかの映像パターンを組み合わせたものを使い回す。
途中で失敗してもやり直しや終了は不可能。最初の入力でノーミスクリアを断念した場合でも、リトライもスキップもさせてもらえず指をくわえて最後まで見ているしかない。
更にそのチャレンジをやり直したい場合は、章ボスを倒さないと仕掛けがリセットされずチャレンジへの入口が再出現しない。
バランチャレンジへの低評価の嵐は、こういった仕様が災いしての事である。
特に終盤のアクトにおいて、敵や障害物をどうにかやり過ごした先で挑戦したバランチャレンジの結果が惜しくも「Taerg(ティエルグ)!」に終わった時の絶望感は計り知れない。
 
幸いバランチャレンジを一度もクリアせずともシナリオクリアは可能になっているが、その場合はクリア前からのアクト周回プレイが必須となる。
アクションを楽しめないアクションゲームにおいてこの仕様は「地獄の二者択一」と化している。
 
これらのクソ要素をかき分けてエンディングまで辿り着いても、最後に示されるのはトレーラー映像で公開済みの「どんな時間(とき)も、無駄ではなかった」というメッセージ。
残念ながら開発側の自己弁護にしか聞こえなかったプレイヤーがいたとしても、それを責める権利等どこにもない事は前述の内容から頷ける事であろう。
 
***
 
以上の全5作品を紹介し終えたところで、クソゲーオブザイヤー2021大賞の発表に移る。
絶えず形を変えながらゲーム業界を襲う「リスク」として人類の身も心もいじめ抜き、同じ土俵に上がった者達を薙ぎ倒した果てに立っていた最後の勝者は――――――――
 
バランワンダーワールド」である。
 
2021年度においても、ダウンロード販売のインディーズゲームが幅を利かせる傾向は近年と同様であった。
そうした状況にあって本作はKOTY2021候補作の中で唯一、国内メーカーからパッケージ販売もされたフルプライス作品として殴り込みを掛けてきた。
開発元へのインタビューによれば、実際にミュージカルの本場で活躍するレベルのダンサーや歌手が参加したとの事。
実際キャラクターデザインやCGムービー・音楽等の作り込みは申し分ない出来である。
目立ったバグや不具合はなく、フレームレート数の高いPS4/PS5版でのプレイなら処理落ちせず比較的快適にプレイ可能という検証結果さえ出ている。
では何故本作はガッカリゲーに留まらず、KOTYという悪い意味での高みに到達してしまったのか。
 
それは肝心の「ゲームとしての面白さ」が致命的なまでに潰されていたからである。
 
残機と固有能力を兼ね備えてしまった為に、喪失を恐れ長距離移動用の衣装をかき集めてはチキンプレイに興じるしかなくなる「衣装システム」。
 
一見単純な操作系統は、杜撰なレベルデザインのせいで却って複雑化。
一見明確な目的は、簡単な説明すら放棄したせいで冒頭から暗中模索。
これらを強いられる、ゲームとしての「不親切さ」。
 
苦痛の時間で幾度もプレイヤーを拘束し、トロコンや収集要素コンプリートを目指すやり込み派の怨敵「バランチャレンジ」。
 
負の三位一体によりもたらされる「ストレスのチリツモ」はプレイヤーの心のバランスを極端にネガティブ方向へ偏らせ、最終的には「これはゲームとして世に出たのが最大の不幸なのでは?」という疑問さえ覚えさせてしまう。
奇しくもKOTYスレで「バラン」が注目されてからほぼ1年後にあたる2022年のゴールデンウィーク直前、本作のディレクターとして名を連ねていた人物が本作を「未完成作品」と称すると共に開発の内情を暴露した。
一方からのみの視点で語られた内容を全て鵜呑みにするのは危険であるが、先に述べた疑問の裏付けは他でもない開発側の人間によって成されていると言っても過言ではないであろう。
 
事実説明不足が過ぎるゲーム本編では各章の「起」と「結」しか示されず、謎に満ちた主要人物・バランとランスの掘り下げは小説版に丸投げ。
バランスタチューコンプリートで解禁されるミュージカル楽曲の英語版も、サウンドトラック購入でカバー可能。
本作をわざわざプレイして人格に悪影響を受ける位なら、ネタバレ上等で最初から他の媒体に触れた方が精神衛生上マシと言う事が出来るであろう。
幸か不幸か「バラン」のメディア展開なら、それは実際に可能である。
或いは「ミュージカルがモチーフのテレビゲーム」ではなく、本当にミュージカル作品として発表されていれば報われた結果になっていたのでは……と現実逃避じみた期待さえ抱いてしまう。
 
褒める所も「モノ」としての形もない虚無が林立する近年の傾向に対し
「ゲーム以外の部分は美点が沢山あるのに、肝心のゲーム部分が存在価値をなくす程クソ」
という過去の例とは異なるタイプのストロングスタイルを貫いた本作には、謹んで大賞と万感の拍手を送りたい。
 
***
 
歴代KOTYで恐れられていた「年末の魔物」や「夏の怪物」は2021年度には出現しなかった。
しかし「アーバン」に端を発する下半期からの審査基準変更にまつわる騒動は、今は亡き携帯機部門から据置部門に住処を移した「夏の怪物」の仕業と言えたであろう。
また「年末の魔物」の代わりに「年度末の魔物」こと「バラン」が死体を装い興味本位で近付いた者達を悪夢の中へ引きずり込んでいた事は、これまで筆舌に尽くしてきたとおりである。
 
2021年度を振り返ってみると、実はこの年程「ゲームがゲームたり得る基準」について議論された年はないのではと思われた。
プロゲーマーが数多く誕生し東京五輪2020の選手入場にゲーム音楽が使用される等、娯楽や文化として市民権を得るまでにゲーム業界は成熟してきた。
一方、ゲーム製作のハードルが下がった影響で虚無を通り越し物を売るレベルではない「商品未満」が正規の市場に平然と混入し商業とインディーズの境は曖昧となった。
闇市状態の中、何を以てゲームはゲームとして認められるのか。
それを改めて考える一年になった事であろう。
 
別に誰から頼まれた訳ではない。
答えを発見したとて、何の権威も報酬も得られはしない。
ならば何を目的にクソゲーを追い求めてしまうのか。
 
それは恐らく、一般的に面白いとされるゲームをメーカーから勧められるまま享受されるだけでは決して到達出来ない――――
ゲーム業界における深淵を覗きたい・記録に残したいという探究心の成れの果て。
言うなれば「執念」かも知れない。
 
くだらない事と笑い飛ばされても構わない。
執念でもってくだらない事に熱中する行為そのものが、一種の「ゲーム(遊戯)」なのであるから。
 
そろそろ本年度のKOTYを締めくくり、ニューゲームへ移ろう。
最後に、見事大賞に輝いた「バランワンダーワールド」をきっかけに心がネガティブ一色に染まりKOTYの世界へ迷い込んでしまった「あなた」へ伝えておきたい言葉がある。
 
あなたは知らなかったかもしれない。
でも今後も、クソゲーを掴んだ時にここを訪れることがあるはずだ。
ゲー無に騙された子供も、濃霧の中でゲー務を検証する猛者も、
心が立ち止まった時、あなたと同じようにKOTYスレを訪れる。
それはクソゲーに対する執念の世界、クソゲーオブザイヤー!
 
悲しいときも、苦しいときも
一歩を踏み出せば、きっと…
 
いつかは言える日が来る。
 
「どんなクソゲーと向き合う時間(とき)も、無駄ではなかった」