このページは、2021年度KOTY総評の案を集めるページです。総評の審議に役立てば幸いです。
2020年、KOTYの試練を突破し覇者となった『ファイナルソード』は、
クソと表裏一体の取り柄を持つ独特のスタンスが人々を惹き付けた。
無が跋扈する「苦難の新時代」において一種の清涼剤とでも評せる彼の者には、
2021年末の「RTA in Japan」内で、続編が約束されていると明らかになったことも記憶に新しい。
未だ見ぬ冒険者が、我々とは無縁の世界へと誘われんことを心から願ってやまない。
それはさておき、2021年のKOTYも粛々と、同時に一抹の不安を抱えながら幕が上がった。
ややあって、昨年の総評が示唆したクソゲー界隈の魑魅魍魎ぶりをスレ住人は垣間見る。
我らの信念は、どこまで通用するのか…その真価が問われる1年だったと言えよう。
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2021年2月。全国的に暖冬傾向となった日本の一角で、
強烈な悪寒に襲われ、震えていたスレ住人の姿があった。
海外インディーズ作品の渡来、そして戦塵の焔。
近年においてはさほど珍しくもない光景が、三度繰り返されようとしていた。
祈り虚しく、二月足らずで弾が飛び交う激戦区へと変貌を遂げたスレに対し、
我々は頭を抱えるほかに為す術が無かったのである。
2月5日、ドイツから飛来せし稲妻の轟音。それは長きに渡る戦歌の序曲であった。
『Pacific Wings』(通称「パシフィック」)は、1942年のミッドウェイ海戦を舞台に、
並み居る旧日本軍機を撃墜すべく、米軍戦闘機P-38を操るレトロ調シューティングゲームだ。
題材からして往年の名作『1942』を思い起こさせるが、
手本としたのは機体のパクったガワだけ、としか言い表せない安直さが制空権を握っていた。
本作の基本操作は、移動とショット。以上である。
時たま取得するパワーアップは4段階のショット強化を施した後、
残機代わりのライフが淡々と増えていくだけ。
かつて簡単に撃墜できる「ペロハチ」と呼ばれた屈辱をよほど根に持っているのか、
敵機は皆、何の工夫も要することなく、
数発当てれば呆気無く倒せる文字通りの雑魚にまで落ちぶれている。
ボスが一機たりとも現れず、一切のボーナスも与えられない全20ステージで、
パイロット達の手元に残るは天下無双の勲章とは程遠い、ただただ戦争の虚しさばかりとなろう。
「パシフィック」の犯した過ちは、古き良き時代の意味を履き違えていることだ。
「レトロ調」は決して、本作のおざなり具合や冒涜に対する免罪符たり得ないのである。
アドリブ性の欠片もないBボタン連打一択のゲームシステム、延々と流れるBGM2種、
海と島だけのループ背景になけなしの555円を払うぐらいならば、
本作の2週間後に配信された基本無料ソフト『カプコンアーケードスタジアム』に収録された、
『1943 ミッドウェイ海戦』をプレイする方が余程有意義ではあるまいか。
かくして双胴の悪魔は、極東の地の軍法会議に掛けられる運びとなったが、
2月中旬、その独演に異議を唱えるかのごとく、一発の銀弾(シルバーブレッド)が楔を打ち込む。
『パチ・パチ!ON・A・ROLL』(通称「オナロール」)が、スペインから鳴り物入りで登場したのだ。
パチンコを融合させたピンボールと、美女の脱衣要素が売りの本作は、
遊ぼうと思い立った理由すら見失わせる、「単調かつイライラする」出来栄えである。
ゲーム面においては、一度玉を打ちだしたらどこかの穴に入るまで次の玉を打てず、
ボーナスが入ると操作不可の演出が30秒近く挟まれるなど非常にテンポが悪い。
その玉数を稼ぐには、非常に強く運が絡むパチンコを基軸としながら、
酷いものだと「動き回る的に一定回数玉を当てる」といった、
闇夜に針の穴を通すようなミッションに挑まなくてはならない。
そんなクソの相乗効果に耐え忍んででも、「下着止まり」であったとしても、
プレイヤー達は脱衣要素に一縷の望みを託すだろう。
だがその実態は、キャラが何の動作を挟むこともなく、
少し喘いで1枚ずつ地味にひん剥かれるだけの味気なさ。
華麗なるプロの泥棒らしい彼女らが何故、カジノを飛び出して西部劇・宇宙・
中世ファンタジーの世界にて痴態を晒すに至ったのかは謎のままであり、
最後まで「背景でクネクネしてる巨乳」というオブジェクトでしかない。
ここまで記せば、吐き出す暇を与えないどころか、逆にストレスを溜めさせる本作であっても、
なるほど確かに人は「賢者」の境地に達することができる、と分かる。
"ON・A・ROLL"(好調)とエールを送るタイトルとは真逆の、
パチンコで盛大に擦ったかのような面持ち"(・A・)"で、画面を見つめ続ける──
その成れの果てで構わなければ、の話だが。
「パシフィック」と「オナロール」による無為な撃ち合いが開始してから約1ヶ月後、
「銃なんか捨ててかかって来い」と言わんばかりのアメリカンな漢が上陸した。
2021年のニンテンドーeショップにて、実に55ものタイトルを販売した新進気鋭のインディーズ、
「Pix Arts」が贈る対戦格闘ゲーム『Urban Street Fighting』(通称「アーバン」)。
発売前より不穏なムードが漂う中迎えられた本作、もといメーカーの厚顔無恥は、
以前より警戒されていた、据置ゲーム業界の粗製濫造の再来を象徴するものとなった。
微妙な造形の6人の戦士達の内、3人は外見以外何一つステータスが差別化されておらず、
2人は何故か一方が他方の完全下位互換キャラなので、使用できるキャラは事実上3人。
30年の歴史を持つ格ゲーの最新作とはとても思えない、
「操作説明がない」「トレーニングモードがない」
「仕方がないのでPVPで疑似トレーニングしようにも、
コントローラ1台では1Pと2Pの動きが連動して練習にならない」
「中断機能が付いていない」と無い無い尽くしの「アーバン」の惨状を見て、
どうしてこうなってしまったのかと訝しむのも無理はない。
そこで、昨今問題視されている「アセットフリップ」の単語を挙げておこう。
すなわちKOTY2017にて物議を醸した『SHOOT THE BALL』と同種の問題点を、
「アーバン」も抱えている前提であれば…先の疑問に対し、嫌になるほど筋が通って来る。
Unity向け格闘ゲーム制作ツールである「Universal Fighting Engine」、
そのテスト用サンプルゲームやアセット類を本作は流用しているのだから、
モーションもコマンドも全くの同一であるコンパチキャラや劣化キャラの存在、
崩壊した対戦バランス、モードや機能の未実装といった不可解な欠陥…
それら全てが、ひとえに開発者の手抜きに起因すると容易に想像できてしまうのである。
恐らく開発者が直接手を付けたであろう数少ない箇所であるステージ背景の一部も、
何故か手前に設置されたオブジェクトで操作キャラが目視できなくなる問題があり、
とどのつまり、素直に褒められる箇所は皆無に等しい。
だが、本作で示した懸念点は何も本作単体に留まらないのだ。
思い出して欲しい…Pix Artsが、この1年間でリリースしたゲーム本数を。
ようやく弾一辺倒の時代を拳で止めたかと思えば、
「あれは嘘だ」と、今度はPix Arts単独によるババカン砲の恐怖が押し寄せていた。
ここに来てはじめて、スレ住人は事の重大さを認識し立ち上がる。
「このまま蹂躙される様を傍観しているだけでいいのか?」
議論の末、KOTY2021は「アーバン」を最後にインディーゲーの選考対象からIARCを外し、
CEROの審査を受けたゲームに限定するという暫定措置がとられる事態にまで発展したのである。
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功を奏したと言えるか、異邦からの来襲者が一旦鳴りを潜める。
しばしの間、我々は己の手で勝ち取りし平和のありがたさを噛み締めることとなった。
しかし所詮はKOTYスレ。波乱を渇望する界隈の「ナギ節」が、永遠の名を冠することはない。
それは、12月に入って間もなくのこと。
厳格化された選考基準のディフェンスを擦り抜け、どこからか飛んできたボレーシュート。
我々はこの、脳天直撃の突き刺さるような痛みを知っている。否、忘れようにも忘れられない。
令和のファンタジスタが、2年の雌伏の時を経て華々しくスレへと凱旋を果たしたのだ。
10月7日発売の『Super Arcade Soccer 2021』(通称「蹴球2021」)は、
KOTY2019次点の『スーパー アーケード サッカー』の続編の名に恥じることなく、
恥をかなぐり捨てたパフォーマンスを次から次へと披露し、
下から数えてトップストライカーの健在ぶりを証明してみせた。
新要素を引っ提げてもなお、「蹴球2021」のサッカーゲームとしての完成度は低い。
相変わらずルールブックを読み込まずに思い付きで判定を取るどころか、
カードという新しい玩具を手にしたことにより試合を更なる混沌の渦に叩き込む審判。
浮き球のセンタリングに尽く対応できないキーパー、
敵味方問わず点を取りに行く・阻止する気概が感じられないポンコツCPU。
新たに追加されたヘディング・スティールは使い勝手が非常に悪く、
結局はボールを奪取せんと退場覚悟のスライディングが横行する世紀末の紳士協定。
前作から改善の跡が見られない操作性もあいまって、
積極的なパス展開よりも孤高のドリブルが勝利の最適解と化す。
まさに「ボール(だけ)はともだち」の状況下で、
ポーズ画面からの復帰時に勢い余って敵に塩を送りかねないヒールキックをかまし、
プレイヤー自身にすら不信を抱くシーンが見受けられる一方、
物理法則無視・透明人間化といった超次元PK戦が繰り広げられるなど、
フィールド上の悲喜こもごもこそがサッカーの醍醐味であると改めて知らしめてくれる。
もじりではあるが、実在チームや選手の再現ステータスを多数実装したことは、
「蹴球2021」の順当進化たる数少ない評価点と言える。
しかしながら、肝心のサッカー要素が依然として劣悪な本作に、
前作より100円高の800円を投じる価値があるかと聞かれれば、
購入後に「メーカーの"sucker(いいカモ)"にされた」と嘆くことになるのが関の山だと、
生暖かく返答するとしておこう。
静寂を打ち破るホイッスルの残響に呼応するかのように、スレ住人の胸中はざわついていた。
やがて来るであろう、罪深き「年末の魔物」に備えなくては……。
だが、予感は意外な形で覆される。
KOTYの門を叩く、最後の来訪者…その名は『バランワンダーワールド』(通称「バラン」)。
発売日は2021年3月26日。発売程なくしてスレ内で話題になるも選評作成は難航を極め、
話題作入りするまで実に11か月ものブランクを生じさせた強者だ。
『ソニック』シリーズの生みの親による新作アクションゲームは、
何故KOTY2021の「日本代表」として祀り上げられることになったのだろうか?
本作の基本動作は、移動と「衣装」に紐付けられた固有アクションとの2つに集約されており、
各ステージに散りばめられた様々な衣装を身に纏いながら冒険していく作りとなっている。
このシンプルな操作の弊害は、戦闘系の衣装に着替えた途端に理解できよう。
何と言っても、アクションゲームの要たるジャンプ操作が一切できなくなるのだから。
あらゆる変身能力を使いこなす『マリオ』でさえ足腰が貧弱になりはしないのに、
何の変哲もない段差を、約2秒間のアニメーションを挟んで乗り越える「バラン」は、
いくら舞台ミュージカルを題材にしているとは言え、些か大仰に過ぎる。
衣装システムの七面倒臭さは、その収集行程にも顕れている。
ステージに置かれた鍵を予め拾わなければ入手できず、ひとところに持てる上限はたったの3着。
ダメージにより失えば、元あった場所まで取りに戻らなくてはならない。
用意された衣装は80種類以上と無駄に多いが、実際問題、差別化が薄く無駄が多い。
ボス戦と局所的なギミックの解除以外では、移動系の衣装を着続けていれば十分であり、
道中の敵はジャンプ攻撃で倒せる上、倒し続けると難易度が上昇するためそもそも倒さない方が楽。
クローゼットの片隅で黴をこびり付かせるぐらいなら、断捨離を覚えることが肝要だ。
全12章のゲームを進めるには、3回心臓に攻撃を当てて倒すだけのボス戦を突破するだけでなく、
各ステージに隠された「バランスタチュー」を一定数集める『マリオ64』方式を採用している。
結果的に無駄な往復、無駄な探索、クソつまらない上に無駄にシビアなQTEを繰り返す中、
断片的に語られるエピソードはどれもこれも「起」と「結」しか窺えず、
劇中のキャラクター達と同様、呆然と眺めているこちらまで負の感情に苛まれそうになる。
エンディングに添えられた「どんな時間も、無駄ではなかった」のメッセージは、
壮大な茶番劇に付き合わされたプレイヤーへの、精一杯のフォローであると信じるほかはないだろう。
「衣装を纏っていたと思ったら、ストレスが纏わりついていた」…
幾人もの失踪者を生んだ「バラン」の底知れぬ実力に感服すると同時に、
己が信念のもと果敢に挑み、ズタボロになりながらも帰還を遂げた一人の戦士へ、
我々は「テネレスケ(Tnellecxe)!!」と、惜しみない称讃を送りたい。
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さて、2021年を彩る役者達が一堂に会したところで、大賞の発表に移ろう。
ふと気づけば遥か遠くまで瓦礫の海に埋もれ、不毛の地と成り果てたKOTYスレ。
それは決して、暗澹たる絶望に追い込まれたことを意味するものではない。
残された汚穢が痩せ細った大地を肥やし、数多の落涙が潤いを与え、
新時代の黎明を告げる緑の芽吹きを促すことを、我々は知っているからだ。
その導き手となる者が、ただ一人であるということも。
すなわち、新たなるKOTYの王者──
「バランワンダーワールド」こそが、その座にふさわしい。
本年も「無」が話題作入りの条件となるきらいがあった中で、
唯一の非インディーズ・フルプライス・国産ゲーと、図らずも異色の生立ちである「バラン」には、
至らぬところこそ多いものの、それ相応の「有」が認められる。
何より「ワンダーワールド」に、あからさまな手抜きの類は無い。
雰囲気と調和したビジュアルやBGMが他の候補作よりも秀でていることはもちろん、
槍玉に挙げられやすい、ボリューム面やバグ・不具合の致命的な欠点も見受けられない。
本来ならば大賞争いで不利に働くであろう要素を多く擁していながら、勝利の女神が微笑んだ所以。
それは「バラン」が同じく「有」していた、逃れようのない「無」数のストレスにある。
『ソニック』『ナイツ』の系譜ともとれる操作体系や、特色ある衣装システムといった、
本作の目指したエンターテインメントのアプローチに根差す問題点は、枝葉末節に及ぶ。
キャンセルボタンをも取っ払ったUI、時間と労力に見合わないミニゲーム、
何度も繊維喪失を誘発させる気の回らないカメラワーク、etc…。
数に物を言わせたストレスの軍勢が途中で是正されるはずもなく、
他方、遊ぼうと思えば最後まで遊べてしまう、なまじ丁寧な作りであることが、
プレイヤーを更なる深淵へと引き摺り込ませることに加担している点も興味深い。
いつしか迎える「ワンダーワールド」の舌足らずなハッピーエンドとは裏腹に、
プレイヤーにとっての喜劇は、このゲームからようやく解放されることであり、
このゲームの終わりを見届けてしまったことが悲劇である、と言えるかもしれない。
いずれにせよ「感情を共有できないクソゲー」という本作の簡潔にして救いのない結末は、
奇しくも前年の大賞『ファイナルソード』とは対照的である。
まるで端からボタンを掛け違えたように、それぞれの要素が空回りし、
誰もが次々に閉口する不格好さへと仕上がった「バラン」は、
最も「有」を具えた者に許される、破滅的かつ究極の芸当をありありと魅せてくれた。
以上より、近年稀に見るストロングスタイル一筋の質実剛健ぶりで高い評価を得た本作に対し、
我々は本年の大賞とすることで全てを昇華させ、大団円を迎えるものとする。
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2021年は「劇的」の二文字がよく似合う顛末を描いていた。
例年スレを大きく震撼させる「年末の魔物」は終ぞ現れなかったが、
それに勝るとも劣らない「年度末の魔物」が全てを掻っ攫う形となった。
クソゲーは異にして味なもの…これだから語らいは止められない。
そんな我々の姿は、傍から見ればさぞかし卦体であると思われていよう。
一体何が、ここまで彼らを駆り立てるのか。
クソゲーにわざわざ時間を浪費せずとも、もっと「楽しい」ゲームは沢山あるのに…と。
共感は求めまい。しかし、これだけは理解していただきたいと願う。
我々がクソゲーと向き合うのは、禍罪の子に憐憫を垂れる責務のようなおこがましさでなければ、
ましてや羨望の的となる権威でも、独りよがりの承認欲求のためでもない。
あえて言うならば「執念」──
憎悪や無念の感情にも曇らされない、純粋なるただ一つの想いこそが原動力である。
たとえブラックホールへ無慈悲に突き落とされようが、
あるいは虚無の砂漠を尽未来際さまようことになろうが、
飽くなき執着心はクソゲーと渡り合う強さに変わり、遂にはそこから一かけらの黄金を掬い上げる。
それは偏屈な者達に与えられる、取り留めのない、しかし掛け替えのない幸運なのだ。
単にゲームに触れるのとは似て非なる「愉しみ」を忘れぬ限り、探求の旅は今後も続いていくだろう。
だがひとまずは、大賞に輝いた「バランワンダーワールド」のメッセージにあやかり、
KOTY2021を締め括りたい。
「どんなゲームも、無駄ではなかった」
2020年は、年間を通して世界中が苦境に立たされていた。
ウイルスと人間のいたちごっこが繰り広げられた現実に連動するかの如く、2020年度のKOTYは俎上に載ったクソゲー達も過去の例にはなかった種類すなわち「変異」が見られた。
KOTY2020大賞受賞作は、作り込まれた熱意と問題要素の「飴と鞭」がスレ住人のみならずネット界隈を広く惹き付けた「ファイナルソード」(通称:ファイソ)。
これを筆頭に、計5作品はいずれも新たな方向性の香ばしさを備えていたのである。
KOTY2020というワクチンを完成させたスレ住人。
彼らは「クソゲーは自らの手で片づける」という初心に帰り、休む暇もなく2021年度の「クソゲーとKOTYのいたちごっこ」へ颯爽と飛び込んでゆくのであった。
***
立春を過ぎた頃。
豆を投げて追い払った筈の鬼が、上空から奇襲を仕掛けてきた。
Nintendo Switch用DLソフト「Pacific Wings」(通称:パシフィック)である。
本作は1942年のミッドウェー海戦を舞台にした、レトログラフィックが売りの縦スクロールシューティングゲームである。
しかしながらその実態は驚異的な内容の薄さを誇っていた。
攻撃方法はショットのみ。
「4種類の武器を強化可能」と見せかけ、実際は「全4段階の単純なショット強化」。
背景は同じ物が延々ループし、BGMは二種類のみ。
ボス機体は登場しない。
他のボーナススコア加点手段もなし。
ゲーム説明には「多彩な敵機」とあるが、実際は8~10種類程度。
また、本作は「人生で初めてシューティングゲームを遊ぶ人向け」を想定したのか下記の親切設計が見られる。
敵機の攻撃パターンは類似したものが多く、いずれも倒し方に工夫はいらない。
後方画面外からの攻撃がある時は必ず「気を付けて」と画面上で注意喚起してくれる。
ショット強化完了後にパワーアップを取得すると、残機として最大15個までストックが可能になる。
難易度を「やさしい」に全振りした豊富すぎる救済策。
1ステージの所要時間が一律約1分半。
それが全20ステージ分連続する事で「やさしさ」が徒になってしまう事を、開発者はどこまで自覚出来ていたか。
ボスもやり込み要素も出てこない中、ショットを最大限まで強化すれば画面内の敵をいとも簡単に一掃可能。
「やさしさ」どころか「親切すぎる設計」は、過保護な肉親の如くハイスコア稼ぎの楽しみすら自ら奪ってくる。
この有様では、プレイヤーは達成感の代わりに作業感を積み上げてゆく他ない。
スレ住人が「80年代に出ていたとしてもクソゲー扱い」と吐き捨てるのも道理である。
そもそも本作は既にスマートフォンやWindowsPC向けのアプリ版が存在するが、ほぼ同じ内容で無料。
つまり本作は有償なのに無料でDL可能なスマートフォン/PC版の劣化でしかない。
※WindowsPC版は総評案筆者が実際にDLし遊んでみたものの、そもそもキーボードの反応が遅くまともに移動が出来なかった
更に本作配信開始から僅か2週間後には、本作の元ネタと呼べるカプコンの「1942」を含む往年のアーケードゲームを数作まとめて収録した「カプコンアーケードスタジアム」が配信開始。
ただでさえ無料版の劣化移植である「パシフィック」は「1942っぽいゲームが安価で遊べる」という唯一の存在意義を失い、あえなく鬼退治された。
後に残った「虚無」と言う名の金棒が、KOTY2021の幕開けを静かに告げていた。
***
上空からの奇襲に生命の危機を感じた紳士達は、急激に高まった生存本能をどこかで解放せねばと盛り場へ潜り込む。
ところが奴らを待ち受けていたのは、昂ぶった欲望を萎えさせる低品質接客もとい「パチ・パチ! ON・A・ROLL(通称:オナロール)であった。
PS4/PS VITA/Nintendo Switch向けにDL専用ソフトとして配信された本作。
日本のパチンコから着想を得た「ピンボール」に「ゲームの進行で美女の服を脱がしていくタイプのお色気要素」を加えた「脱衣ピンボールゲーム」という聞き慣れないジャンルである。
※選評に倣い、言及する対象はNintendo Switch版のみとする
脱衣の標的は、ピンボール台の背景でLive2Dを使用したかの様なくねくねした動きの巨乳美女・フジコ(茶色いロングヘアの女性)とロビン(青髪の眼鏡女子)。
二人はステージ毎のコンセプトに合わせた衣装を着用している。
この衣装をひん剥きつつハイスコアを狙うべくピンボールで様々なミッションをクリアしていくのが本作の特徴……と言いたい所であるが、残念ながら得られたインスピレーションからイノベーションを起こす事には失敗してしまった。
操作方法は我々が一般的に想像するピンボールと異なっている。
「玉を掴みながら画面上部を左右に動くUFOキャッチャーのアームがあるので、玉を離したいタイミングでボタンを押す」たったこれだけである。
シンプルと言えば聞こえは良いが、一度発射したら玉が画面下へ落ちきり穴に入るまでプレイヤーは一切玉の挙動を操作する事は出来ない。
台の仕掛け等にも左右される部分はあるが、検証者によると大体15秒。
なお玉の連射は不可能な他、ボーナス演出が入るとファンファーレが約30秒間鳴り響きその間も操作不可能となる。
一応途中でブロック崩しや本家ピンボール等のミニゲームを遊びスコアアップが図れるが、再現性の高いバグが眠っておりゲームの面白さに貢献するものではない。
更にハイスコアを目指しミッションをクリアしようとすれば、運が絡むパチンコ由来の性質が牙を剥く。
これに加え連射不可能な仕様と「動き回る的に一定回数弾を当てる」等の理不尽なミッションを悪魔合体させたシステムが、プレイヤーに無駄な待ち時間と苛立ちの感情をプレゼントする。
これまで記載してきた分だけでもクレームが飛んできそうな内容であるが、本作はお色気要素目的でプレイするなら脱がせられればそれで良いやと割り切る変態紳士達に対する嫌がらせも抜かりない。
本作を「脱衣ピンボールゲーム」と紹介する際に1点書き忘れていたが、コンシューマ版で披露されるのは下着姿まで。
1枚ずつしか脱がせられず、CERO:D止まりである。
おまけに脱衣の条件も「台の中に紛れている桃色のピン1本につき3回弾を当てる」と、画面の小さい携帯機派を切り捨てる男気ぶり。
玉を操作する爽快感が伴えばゲーム性を高める工夫となり得たのかも知れないが、後の祭りである。
そうして途方もない苦労を重ねたところで、脱衣演出は「聞き逃しそうないかがわしい声と同時に服が一瞬で消える」のみ。
2人の人物掘り下げが皆無な為、脱がされる彼女達には気の毒であるが終始ピンボール台の背景以上の思い入れを持つには至らない。
純粋な遊戯としても大人の娯楽としても最低基準を下回るサービスばかりを提供され、萎えきった紳士達は皆真顔(・A・)で盛り場を去る。
そして「オナロール」を即刻KOTY話題作入りさせるのであった。
***
変態紳士達の尊い犠牲で盛り場の危険性を把握したスレ住人は一斉に、最も安心出来る我が家で引きこもる選択をした。
しかし外部への警戒を怠ったばかりに、KOTYスレは未曾有の事態に巻き込まれる事となる――。
3月も半ばを過ぎた頃、桜の蕾に導かれた脳筋が繁華街に出現した。
その名は2人用2D対戦格闘ゲーム「Urban Street Fighting (アーバンストリートファイト、通称:アーバン)」。
本作はNintendo Swith用DLソフトとしてリリースされる前から、「セガサターン時代」と揶揄される時代遅れのグラフィックがKOTYスレでも注目されていた。
プロモーション映像から醸し出される「見えている地雷」ぶりは、ニンテンドーeショップのチェック体制を疑う者が出る程であった。
果たして「アーバン」は、出来れば応えて欲しくなかった期待にしっかり応えた。
まず本作を起動すると「操作説明」及び「トレーニングモード」の不在により、プレイヤーは文字どおり実戦経験でしかキャラクター性能を確認する事が出来ない。
PvP(対人戦)を疑似トレーニングモードに見立てたスレ住人が自らを実験台に操作方法を検証してゆくと、次々に新たな問題点が発覚した。
特定の条件でPvPモードをソロプレイすると、2Pの操作が1Pに連動するバグがある事。
使用可能キャラクター6人の内、3人が全く同じ性能である事。
ほぼ同じ操作感をした2人の内片方がもう片方の完全下位互換である事。
上記の仕様により、実質記載の半分しかキャラ数がいない事。
ポーズボタンのつもりで+ボタンを押したら、対戦が終了してしまう事。
コマンドのキャンセルが利かない事。
前のモーションが完全に終わるまで次のコマンドを繰り出せない事等々。
代表的な問題点を挙げるだけでも、本作は対戦格闘ゲームとしての体を成していない事が丸わかりである。
それもそのはず、本作はUnityで販売されている格闘ゲーム制作支援ツールで制作されたサンプルゲームほぼそのものであった。
キャラクターの動き・システム・画面の構成・フォントに至るまで素材の流用が目立ち、逆にオリジナリティを見出せるのが背景やコンパチキャラへのモーション適用位しかない。
その背景にしても操作キャラを隠したり一部のキャラクターを劣化性能にしたりと、なにひとつ美点に挙げられる部分が存在しない。
本作は到底「ゲーム」とさえ呼べない代物であった。
商品未満であったとしても、賑やかしとしてならまだ可愛げがあったのかも知れない。
しかし「アーバン」の真の恐ろしさは、「俺がルールだ」と言わんばかりに本作クラスの商品未満ソフト達で徒党を組んでいた点であった。
「アーバン」をリリースしたゲームメーカーは2021年3月時点で単一の発売元から20以上、年間トータルで50以上のゲームをニンテンドーeショップでリリースした。
とてつもないリリース本数から想像が付くかも知れないが、その内情は「手抜き」の一言に集約される。
ゲームを作る為の素材やツールを少し改変しただけ或いは殆どそのままで販売してしまう、所謂「アセットフリップゲー」の大量生産というものであった。
個々の実力は雑魚キャラであったとしても、全方向から絶え間なく向かってくるファイターの相手をしていればいかなる格闘技の達人でも疲労が蓄積してゆく。
「質より量」を地で行く「ゲー無」の大群にスレ住人は共倒れを危惧し、最悪の事態を防ぐ為の対策に踏み切らねばならぬ程であった。
これにより2021年7月よりKOTYスレのテンプレが暫定的に改訂され、KOTYで取り扱う対象は「CEROによるレーティング審査を通過したゲーム」という条件が設けられる事に。
有象無象の商品未満共は、新基準の前に淘汰される事となった。
***
年度途中のルール変更により、スレ住人はひとまず数の暴力から逃げる事に成功した。
しかしCEROレーティングという基準も完璧ではない。
10月に発売された「Super Arcade Soccer 2021」(通称:蹴球2021)はNintendo Switch・Xbox・PS4のマルチタイトルで展開するDL専用ソフトであるが、PS4版のみCERO審査済みという盲点でスレ住人に混乱をもたらしたのである。
本作は2019年度のKOTY次点に輝いた「SUPER ARCADE SOCCER」の2作目にあたり、シリーズ作品としては2作連続でKOTYスレ住人に見つかった形となる。
前作の時点でルールや操作性に問題点があると指摘されていた、「スライディングすると操作不能になる」バグは本作で修正。
更に各国代表チームやセリエAを再現したチームにしっかりとしたパラメータが設定される等、素直に褒められる箇所は存在する。
しかし残念ながら、操作性や判定は相変わらず劣悪。
パスのアシストがなくドリブルで突破した方がマシな点や、今作初搭載のスティールやヘディングは動作前に一瞬動きが止まる為痒い所に手が届かない点等は序の口。
前作同様、オフサイドがない。
何故か選手が透明になる。
客席にボールを放り投げる。
この様な意味不明な状況や挙動から成る細かな粗が僅かな美点をかき消してしまう。
「細かな粗」は数えればキリがないが、中でも致命的であったのは「ボールを保持している時にオプションボタンを押下し○ボタンで戻ると何故かプレイヤーがボールを後ろに蹴る」点であった。
本作では○ボタンがシュートもしくはタックルの操作に割り当てられる。
つまり「自陣でボールを持っている時ポーズを押すと、復帰時にそのまま味方ゴールに吸い込まれオウンゴールが決まる」といった笑えない珍プレーが発生する土壌が出来上がっている。
他にも「後ろからスライディングでファールになる確率が三分の一な代わりに、ファール判定の場合は最低でもイエローカードは避けられず一発でレッドカードになる事も多い」という謎判定と謎ルールの合わせ技が目撃された。
軽く引っかけた場合でもイエローカード扱いになるケースも散見され、遂には選評者をして基準を見抜く事は出来なかったという。
チームプレイが競技としての肝であるサッカーを題材にしておきながら、協調性を放棄するルール破綻と劣悪な操作性から孤独なドリブルさばきを推奨している様にしか見えない「蹴球2021」。
本作が世に出た意味を考え始めると頭を抱えてしまうが、敢えて挙げるとすれば。
未だ終わらぬコロナ禍がもたらした「ニューノーマル」の概念をスポーツの世界で如何に実践してゆくかという社会実験を、ゲームとして落とし込んだものであったのかも知れない。
娯楽作品としては落第としか言いようがないが。
ゲーム単体としてもシリーズ物としてもクソゲーとしての存在感を存分に放った「蹴球2021」は、審査基準変更後初のKOTY話題作入りへ無事シュートを決めたのである。
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新テンプレの制定によりIARCレーティングしか通過していない泡沫のインディーズゲームは駆逐され、KOTY名物「年末の魔物」の襲来は避けられた。
対策は完璧。時折招かれざる「お客様」が押し寄せつつも、スレ住人達は比較的健康的な下半期を送る事が出来ていた。
ところが自分達で作り上げた平和が続くと、人間はそれに満足出来ずどうにかこうにか大義名分を見つけては争いを始めてしまう。
その様な人間の悲しい性(さが)を「クソゲーへの特攻」という形で体現してしまう、KOTYスレ住人達。
彼らは、「クソゲーが出ない事が一番良い」と頭では理解している。
それでも心のどこかでクソゲーとの戦いを待ち望んでしまったばかりに、別の魔物の死体を蘇らせてしまった。
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その名は「バランワンダーワールド」(通称:バラン)。
発売自体は2021年3月下旬であり、ゴールデンウィークの頃にはKOTYスレでも話題に上った。
ところが検証者が次々失踪・選評としての要件を満たせない不十分な批評しか届かない等の経緯から一旦は捨て置かれ、そのまま年末年始に突入した曰く付きのゲームである。
本作は舞台ミュージカルがモチーフの箱庭探索型3Dアクションゲーム。
80種類以上もの衣装に紐付く固有の能力を駆使しながらアクト(他のゲームで言うと「ステージ」の事)をクリアしてゆく事で、12人の悩める老若男女の心を救う大筋になっている。
「すべてのアクションはここにある」とトレーラー映像で宣言した本作がクソゲーの烙印を押されてしまった所以について、主に3つの要素から説明を加えてゆく。
最初はストレッサーとしての「衣装システム」である。
本作では衣装が残機を兼ねているが、衣装入手には鍵が必要かつ再出現には約30秒のインターバルが発生する。
入手の手間がかかる割に、足場からの落下や敵の攻撃で喪失しやすいのである。
こういった仕様から、入手ポイントが1箇所しかない衣装を複数確保しようと試みる度に無駄な待ち時間が累積してゆく。
なお手持ちの衣装は3着までに限られ、それ以降は道中のチェックポイントから行ける保管先で切り替える必要がある。
しかも衣装の能力は上位/下位互換(例:空中歩行能力のジャンピングジャック→エアキャット→エアユニコーン)のものが多く水増し感を覚えてしまう。
更にワンボタンアクションに拘った結果「ジャンプの出来ないファイアマリオ」と揶揄される(本作はジャンプ・固有アクション・キャンセルというボタンの使い分けはなく全て「アクションボタン」として割り振られる)攻撃系衣装や、自由意志で発動出来ない「一定時間で能力ON/OFF自動切り替え」系衣装は使い勝手が悪く有用な衣装は自ずと限られてくる。
2つ目の「クソゲーたる所以」は「不親切さ」である。
開発者曰く「世界中の人に同一条件でプレイしてもらいたい」意図で架空言語「バラニーズ」を設定しつつ、テキストに頼らない演出を採用した本作。
ストーリー面だけなら評価点に数えられたであろう。
だが「バラン」は1から10までこの調子なのである。
まずチュートリアルの概念は存在しない。
収集要素に関しては第1章アクト1で一応説明があるが、妙に回りくどい。
「ティム」というひよこに似たお助けキャラの性能差や、本作で採用された難易度調整を司るメタAI「バランスAI」にしてもゲーム中では一切言及がない。
真面目に雑魚敵を倒し続ける程バランスAIが敵の数や強さを増した状態で再配置してくる事に気付かぬまま、クリアしたプレイヤーもいた可能性さえある。
この様に物語もシステムも一律に「語らない」事を選択した結果、プレイヤーにとって必要な情報まで説明が省かれる事態が起きているのである。
また本作は2人プレイが可能になっているが、開発の後半でねじ込まれ……
もとい導入されたモードの為か1P側のカメラが基準となり2Pが迷子になりやすい・2P側のみカメラ操作やポーズボタンが使えない等2Pに対して不親切な態度を貫いている。
カメラ操作のやりにくさに関しては、1P相手でも充分すぎるまでに不親切であるが。
3つ目は悪名高きミニゲーム「バランチャレンジ」。
全12章の心象世界を解放するには各章のボスを倒すだけでなく収集要素である「バランスタチュー」を一定数集める必要があるが、コンプリートを目指したいやり込み派にとってはこれが大きな壁となる。
バランチャレンジとは、1チャレンジで4~6回入力タイミングがあるQTE形式のミニゲームの事。
1アクトにつき1~3回挑戦する事になり、後半の章になるにつれ判定が厳しくなる。
バランスタチュー入手の為にはこれをノーミスクリアせねばならない。
しかしバランチャレンジがプレイヤーに唾を吐かれる勢いで嫌われる理由はこれだけではない。
数回に1回ある連打系以外は基本的に「映像中のバランとシルエットが重なった瞬間にボタンを押す」形式であるが、演出の都合でタイミングはシビア。
なお上記の映像は幾つかの映像パターンを組み合わせたものを使い回す。
途中で失敗してもやり直しや終了は不可能。早い段階でノーミスクリアを断念した場合でも、指をくわえて最後まで見ているしかない。
更にそのチャレンジをやり直したい場合は、章ボスを倒さないと仕掛けがリセットされずチャレンジへの入口が再出現しない。
バランチャレンジへの低評価の嵐は、こういった仕様が災いしての事である。
特に終盤のアクトにおいて、敵や障害物をどうにかやり過ごした先で挑戦したバランチャレンジの結果が惜しくも「Taerg(ティエルグ)!」に終わった時の絶望感は計り知れない。
幸いバランチャレンジを一度もクリアせずともシナリオクリアは可能になっているが、その場合はクリア前からのアクト周回プレイが必須となる。
アクションを楽しめないアクションゲームにおいてこの仕様は「地獄の二者択一」と化している。
これらのクソ要素をかき分けてエンディングまで辿り着いても、最後に示されるのはトレーラー映像で公開済みの「どんな時間(とき)も、無駄ではなかった」というメッセージ。
残念ながら開発者の自己弁護にしか聞こえなかったプレイヤーがいたとしても、それを責める権利等どこにもない事は前述の内容から頷ける事であろう。
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以上の全5作品を紹介し終えたところで、クソゲーオブザイヤー2021大賞の発表に移る。
絶えず形を変えながらゲーム業界を襲う「リスク」として人類の身も心もいじめ抜き、同じ土俵に上がった者達を薙ぎ倒した果てに立っていた最後の勝者は――――――――
「バランワンダーワールド」である。
2021年度においても、ダウンロード販売のインディーズゲームが幅を利かせる傾向は近年と同様であった。
そうした状況にあって本作はKOTY2021候補作の中で唯一、国内メーカーからパッケージ販売もされたフルプライス作品として殴り込みを掛けてきた。
開発元へのインタビューによれば、実際にミュージカルの本場で活躍するレベルのダンサーや歌手が参加したとの事。
実際キャラクターデザインやCGムービー・音楽等の作り込みは申し分ない出来である。
目立ったバグや不具合はなく、フレームレート数の高いPS4/PS5版でのプレイなら処理落ちせず比較的快適にプレイ可能という検証結果さえ出ている。
では何故本作はガッカリゲーに留まらず、KOTYという悪い意味での高みに到達してしまったのか。
それは肝心の「ゲームとしての面白さ」が致命的なまでに潰されていたからである。
残機と固有能力を兼ね備えてしまった為に、喪失を恐れ長距離移動用の衣装をかき集めてはチキンプレイに興じるしかなくなる「衣装システム」。
一見単純な操作系統は、杜撰なレベルデザインのせいで却って複雑化。
一見明確な目的は、簡単な説明すら放棄したせいで冒頭から暗中模索。
これらを強いられる、ゲームとしての「不親切さ」。
苦痛の時間で幾度もプレイヤーを拘束し、トロコンや収集要素コンプリートを目指すやり込み派の怨敵「バランチャレンジ」。
負の三位一体によりもたらされる「ストレスのチリツモ」はプレイヤーの心のバランスを極端にネガティブ方向へ偏らせ、最終的には「これはゲームとして世に出たのが最大の不幸なのでは?」という疑問さえ覚えさせてしまう。
事実説明不足が過ぎるゲーム本編では各章の「起」と「結」しか示されず、謎に満ちた主要人物・バランとランスの掘り下げは小説版に丸投げ。
バランスタチューコンプリートで解禁されるミュージカル楽曲の英語版も、サウンドトラック購入でカバー可能。
本作をわざわざプレイして人格に悪影響を受ける位なら、ネタバレ上等で最初から他の媒体に触れた方が精神衛生上マシと言う事が出来るであろう。
幸か不幸か「バラン」のメディア展開なら、それは実際に可能である。
或いは「ミュージカルがモチーフのテレビゲーム」ではなく、本当にミュージカル作品として発表されていれば報われた結果になっていたのでは……と現実逃避じみた期待さえ抱いてしまう。
褒める所のない虚無が林立する近年の傾向に対し
「ゲーム以外の部分は美点が沢山あるのに、肝心のゲーム部分が存在価値をなくす程クソ」
という過去の例とは異なるタイプのストロングスタイルを貫いた本作には、謹んで大賞と万感の拍手を送りたい。
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歴代KOTYで恐れられていた「年末の魔物」や「夏の怪物」は2021年度には出現しなかった。
しかし「アーバン」に端を発する下半期からの審査基準変更にまつわる騒動は、今は亡き携帯機部門から据置部門に住処を移した「夏の怪物」の仕業と言えたであろう。
また「年末の魔物」の代わりに「年度末の魔物」こと「バラン」が死体を装い興味本位で近付いた者達を悪夢の中へ引きずり込んでいた事は、これまで筆舌に尽くしてきたとおりである。
2021年度を振り返ってみると、実はこの年程「ゲームがゲームたり得る基準」について議論された年はないのではと思われた。
プロゲーマーが数多く誕生し東京五輪2020の選手入場にゲーム音楽が使用される等、娯楽や文化として市民権を得るまでにゲーム業界は成熟してきた。
一方、ゲーム製作のハードルが下がった影響で虚無を通り越し物を売るレベルではない「商品未満」が正規の市場に平然と混入し商業とインディーズの境は曖昧となった。
闇市状態の中、何を以てゲームはゲームとして認められるのか。
それを改めて考える一年になった事であろう。
別に誰から頼まれた訳ではない。
答えを発見したとて、何の権威も報酬も得られはしない。
ならば何を目的にクソゲーを追い求めてしまうのか。
それは恐らく、一般的に面白いとされるゲームをメーカーから勧められるまま享受されるだけでは決して到達出来ない――――
ゲーム業界における深淵を覗きたい・記録に残したいという探究心の成れの果て。
言うなれば「執念」かも知れない。
くだらない事と笑い飛ばされても構わない。
執念でもってくだらない事に熱中する行為そのものが、一種の「ゲーム(遊戯)」なのであるから。
そろそろ本年度のKOTYを締めくくり、ニューゲームへ移ろう。
最後に、見事大賞に輝いた「バランワンダーワールド」をきっかけに心がネガティブ一色に染まりKOTYの世界へ迷い込んでしまった「あなた」へ伝えておきたい言葉がある。
あなたは知らなかったかもしれない。
でも今後も、クソゲーを掴んだ時にここを訪れることがあるはずだ。
ゲー無に騙された子供も、濃霧の中でゲー務を検証する猛者も、
心が立ち止まった時、あなたと同じようにKOTYスレを訪れる。
それはクソゲーに対する執念の世界、クソゲーオブザイヤー!
悲しいときも、苦しいときも
一歩を踏み出せば、きっと…
いつかは言える日が来る。
「どんなクソゲーと向き合う時間(とき)も、無駄ではなかった」