『Kentucky Route Zero:TV Edition』 「日本語版」 選評
【基本情報】
・作品名 Kentucky Route Zero:TV Edition
・発売日 2020年1月29日
・プラットフォーム PS4、Switch (ダウンロード販売のみ)
・選評作成バージョン PS4版/バージョン1.01 (4/22段階で最新バージョン)
・定価 3000円(PS4版)
・開発 Cardboard Conputer
・販売 ANNAPRUNA INTERACTIVE
・言語対応 原語は英語。日本語の他、フランス語・イタリア語・スペイン語(欧州/南米)・ロシア語・韓国語に対応
・ローカライズ Emilia de Santis and team at EDS Wordland Ltd.
(ロシア語・韓国語についてはローカライズは別担当者)
・元は2013年から全5章+幕間の断章5篇が順次Steamで配信されてきたADV。2020年1月にストーリーが完結したが、同時に全話を収録し、日本語対応したコンシューマ版『TV Edition』が各機種向けにダウンロード発売された。
・「文章で物語を語ること」に非常にこだわったADVで、ボイス(英語)が付くのは一部のシーンのみ。劇中のミニゲーム進行なども全てテキスト上の選択で行われる。
【概要】
極端なことをまず言ってしまえば、このADVは究極の雰囲気ゲーである。
プレイの目的が「エンディングを見ること」や「謎を解明すること」ではなく、「テキストを繰り返し読んで、世界観と謎にどっぷり浸り続けること」と言えるからだ。
各シーンで語られる多くの謎めいたエピソード、意味ありげな会話が無数の物語の断片として積み重なり、もつれ合って、独特の世界観を構成している。
ADVに付きものの選択肢の存在もまた、普通の作品のような「先へ進むためのフラグ」ではなく、選ばなかった選択肢を再プレイで読み返し、別の断片・別の謎をたどるための糸口に過ぎない。
(実際、各選択肢に「正解」は無い。どれでもストーリーの大枠は変わらず、エンディングには辿り着ける。)
全体に独創的な世界観の作品で、こうした雰囲気を好むプレイヤーにとっては文句なく「名作」と言ってよいだろう。
ただし、「英語版」ならば。
だが、「日本語版」は違う。なぜかといえば、翻訳の質があまりにも劣悪だからだ。
機械翻訳の結果をそのままぶち込んだに違いない支離滅裂な訳文がいたるところに見られ、「日本語ネイティブのチェック」や、「一人の訳者による通し読み」などは行っていないだろうと確信できるような、配慮のない翻訳になっている。
その結果、日本語版は「テキストと世界観にまるで浸れないし、読み返したくない代物」になってしまっている。
これがこのゲームのほぼ唯一の、そして致命的なクソ点である。
【システム面】
・PS4本体側のシステム言語を切り替えることで、英語版を含む各国語版もプレイ可能。ただし、ゲーム内部で言語を切り替える方法は無い。
・アクトI~Vの各章間と、アクトVの後に1つづつ、計5つの断章が入る構成。全章通してのプレイ時間は1回10時間程か。
・アクトはイベントが発生する場所に入るごとに「シーン」として区切られる。シーン数はプレイヤーの行動で増減し、だいたい1アクト平均10~15シーン程度。
ただし、アクトVのみは特殊。他アクトのようなシーン区切りが表示されない演出で、長めのシーン3つ分ほどの長さになっている。
また、各断章は1~3シーン程度の長さにまとまっている。
・アクトとシーンの区切りごとにオートセーブが行われ、任意セーブはできない。複数のイベントが連続する長いシーンの場合、イベントごとにオートセーブされる。
・セーブスロットは3つあるが、セーブの分散や相互コピー等はできず、それぞれ別のプレイのためにしか使えない。
・一度クリアしたアクト・断章は再プレイ可能だが、章の最初からのスタートになる。
前のプレイと選択を変えて別展開になった場合でもセーブスロットは変更不能で、どんどん上書きしていくしかなく、別の展開を確認するためにセーブを分けることはできない。
・バックログ等の読み返し、確認機能は無い。ゲームを中断/終了してリロードした場合は一番近いオートセーブポイントから復帰できる。
セーブやログ機能のシステム面については、「読むたびに別の現実が紡がれうる」ような独特の詩的世界観を作るために、意図的に不便にしたものかと思われる。
1シーンがさほど長くないこともあり、翻訳の問題が無い英語版の場合は特に大きな問題にはならないだろう。
だが、日本語版ではクソ翻訳のために、
「うまく読み取れなかった部分を再読したいが、ログ機能がないためやり直し必須」
「英語版を参照しないと意味不明だが、言語を切り替えるにはゲーム終了→やり直し必須」
などの苦行が発生し、「読み返すのが苦痛な上、システムまで不親切」と感じやすくなってしまっている。
【グラフィック・音声等】
グラフィックは影絵風やワイヤーフレーム風など、人物の顔立ちすら描写しないような、抽象的で抑えめなものが基本である。音声も基本は環境音風のものが流れるのみだ。
ただし、抑えめなだけで決して貧弱なわけではない。映像自体や背景の画面構成はシンプルだが美しく、ここぞというときには効果的に音楽(カントリーソングなど、ボーカル付きのものもある)やボイス、視覚的演出が導入され、世界観作りに大いに貢献している。
【世界観・シナリオ】
『Kentucky Route Zero』の最大の特徴は間違いなく、日常と非日常のものを融合させる「魔術的リアリズム」の手法で描かれる、詩的・幻想文学的な世界観とストーリーだろう。日本の作家で言えば、安部公房のような作風と言えば分かりやすいだろうか。
その世界観の象徴が、タイトルでもある「ルートゼロ」、ケンタッキー州の地下のどこかを走っているという、謎の高速道路0号線だ。
主人公のコンウェイは配達の仕事をこなすため、この「ゼロ」に乗らねばならない。だが、どうすればその道に辿り着くのか、どこにあるのかも分からない。
確かに存在する道路なのに、「ゼロ」について語られる言葉は常に曖昧でとらえどころがない。(ご丁寧に「ゼロ」の文字上には、常に霞がかかったようなエフェクトが表示される。)
「ゼロ」だけでなく、登場するモノも人も、みなどこかしら秘密めいており、奇妙である。
こびりつくカビによって「奇妙な進化」を遂げた古いコンピュータ。
トラックを運べるほどの巨大な鷲を友と呼ぶ、家族とはぐれた少年。
教会の地下のウィスキー醸造所で働く、骸骨姿の「見えない」従業員たち。
エネルギー企業による重苦しい地域支配と、金策に苦しむ人々。
日常と非日常が線引きされることなく、それら全てが「日常」として淡々と描かれる。
イベントごと、会話ごとに新たな謎が生まれるが、物語が進んでも明確な答えが出てくることはまず無い。
物語そのものの構造も特殊だ。
作中人物達の行動は現実なのか、それとも誰かに演じられ、観られている「劇中劇」なのか。
コンピュータが提示したのは「過去の再現」なのか、「単なるシミュレーション」なのか。
消えた人物は生きているのか、それとも…
現実と仮構、過去と現在は半ばない交ぜ状態のまま、物語はどんどん進行する。
【テキストや視点の特徴】
主人公は一応、アンティークショップの年老いた配達員「コンウェイ」だが、操作キャラや視点は彼の同行者たちや、行きずりのキャラ、はては動物まで、かなり頻繁に入れ替わる。
断章では原則コンウェイ一行が直接登場せず、全くの他者の視点から物語が語られる。
テキストの語り口も独特で、同一のテキストボックス内で発言主が変わったり、いきなり客観視点の「地の文」に切り替わったりすることも多い。
また、操作中のキャラの行動を全くの第三者が回想的に語るものや、戯曲風にト書きが入ったもの、説明書や芸術作品の解説など、シーンによってかなり多様な語り口を取り混ぜて使っている。
ある選択肢を選ぶと他の選択肢を選ぶ余地なしに自動進行する展開が多く、設定や人物関係がかなり複雑なキャラクターも存在するため、英語版であっても一度のプレイでは人物関係や背景を掴みきれないようになっている。
そのため、本来は再プレイしてみることで物語をより深く楽しめるはずなのだが…
【翻訳の問題点】
シナリオ・テキストそのものがそもそもあまり「常識的」なものではなく、さらに「無数の詩的・暗示的なエピソードの断片が積み重なって世界観を作っている」という特性のため、テキストは相当気を使って翻訳する必要があったはずだ。
だが、日本語版の翻訳はそういう配慮をほとんどかなぐり捨てているため、一部は完全に意味不明になっており、ただの電波シーンに見えてしまう。
「意味そのものは分かる」部分でも、細かい問題が多いために没入感や統一感に欠け、元来は「どこかで繋がっていたかもしれない」はずのエピソードや人物の関係性・設定面が見えにくくなっている。そのため、「ぶつ切りのよく分からんエピソードがただ沢山置かれているだけ」のシナリオだ、といった印象を受けやすくなってしまっている。
実際、読んでいる際のストレスは相当なもので、物語の細部や人物などに十分注意が向かず、一度のプレイでは読み落としている要素が大量にあった。げんなりしながら再プレイしてもまだ分からず、英語版に切り替えたらあっさり理解出来た、といった部分も非常に多かった。
ありとあらゆる翻訳上の問題点があるので、以下に代表的なものをタイプ別に整理するが、実際には1つのタイプのみが単体で現れることより、複数のタイプが複合して出現する場合のほうがはるかに多い。
実例も挙げたが、問題になる部分はあまりにも多すぎて到底挙げきれないため、実際に遭遇するもののごく一部である。
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1 誤字・脱字・誤変換 (「では」を「でわ」、「(机の)引きだし」を「引きださ」など)
2 チェックポイント表示の誤訳 (見るの意の「watch」を「腕時計」、人名「Cliff」を「崖」など)
3 おかしな語順 (「END OF ACT I」を「アクトの終わりI」など)
すべて全編を通してあちこちに見られ、ミステリアスな作品の雰囲気や没入感を即ぶちこわしてくる。
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4 固有名詞の訳の不統一・不適切な訳
全編を通した問題の一つだが、人物が一気に増えるアクトIII辺りから頻発し、重要語でも容赦なくブレる。
時には「EZRA」「SHANNON」など機械翻訳丸出しの英字表記のままであることもあり、同一のテキスト内で表記揺れが起こっている場合も多数見かけた。
人名がブレている例
・「ジューンバッグ/ジューンバグ」 最頻出のブレ表記。同一人物だと分かりやすいだけマシだが…
・「ダシール/ダシエル」「サイラス/シラス」 同じ人名に見えにくく、混乱しやすい。
・「リゼット/リセット」 片方が他の意味にも見え、文脈を混乱させやすい。
人名以外のブレの例
・「ドッグウッドドライブ/ハナミズキドライブ」
主人公が目指す配送先=最終目的地なのだが、同一の地名だと分かりにくいうえブレ頻度も高く、会話の趣旨を理解しにくくしてしまうことが多い、凶悪な表記。
・「統合電力会社/連結した電力会社」 など
作中あちこちに名前が登場する大企業で、シナリオ全体に漂う閉塞感の元凶にもなっている「The Consolidated Power Company」のこと。最重要名詞の一つなのに訳語が安定しないために同会社だと分かりにくくなっており、全体的な世界観を把握するのを難しくしている。
その他不適切・不親切な訳の例
・「EQUUS OILS」→「EQUUS石油」
冒頭に登場するガソリンスタンドの名。このように英語以外の言語が訳されずにアルファベット表記になる例があり、どうにもぎこちない印象だ。(ちなみに「EQUUS」はラテン語で「馬」だが、馬はシナリオを通して何度も象徴的に登場するため、これは分かりやすく訳語を作っておいたほうが良かっただろう。)
・「苦いハリネズミ」「緑がかるヤギの足」
固有名詞であることに気づかず、単純に直訳して失敗している例。キノコの英名を直訳したらしいが、前者が出てくる場面などは「苦いハリネズミの傘を食え」と妊婦に勧めている電波シーンにしか見えない。
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5 口調、文体などの不統一・不適切
人物の口調や一人称がまったく統一されていないせいで、キャラが掴みづらく、また浅く感じてしまう。まだ人物が少なかった序盤から常に発生するが、特に目立つのはやはりアクトIIIから。
特に男性の「僕/俺」の使い分けはガバガバで、同じ台詞の中ですら一人称がブレる。
語尾表現(特に女性)や口調もかなり不安定で、丁寧語で話していたはずのキャラがいきなりタメ口をきき始める、片言になる、などの問題はもはや日常茶飯事。
これらの問題と、そもそも複雑な構造を持つテキストの特徴がミックスされた結果、「あれ? 今の文は誰の視点からの表現なんだ?」となりやすい。
ついでに言えば、二人称や三人称もガバガバだ。
年配の男性は英語版では「old man」と表記されることが多いが、この訳が「おっさん/老人/じいさん」などと様々にブレる。同じ人物が、特定の相手に対する呼びかけとして使っている場合でさえブレるので、「訳し分け」というわけでもないようだ。
また、少年キャラのエズラは「small man」と呼びかけられることがあるのだが、なぜかこれが決まって「小僧」と訳されてしまう。話者が女性だろうがインテリ風男性だろうが、直前まで他人と丁寧語で話していようが、エズラ相手には「小僧!」である。
ちなみに地の文の場合でも問題は同様で、敬体(ですます)/常体(だ・である)が当たり前のように入り混じる。
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6 文脈を混乱させる単語の誤訳
単語の誤訳はパターン2でも示したが、あちらは単語単体のみの間違いなので、雰囲気はぶちこわしだが意味把握に大きく困ることは無い。対してこちらは会話や説明シーンに登場し、文脈を分かりづらくする面倒なパターン。
・「station」→「駅」
作中にはラジオ・TVに関する会話やイベントが随所で印象的に登場するが、ラジオ・TV「局」を示す「station」がしばしば「駅」と訳される。「主人公一行が配送先を探してさまよっている」というシナリオ設定上、「鉄道駅」と勘違いしやすく非常に迷惑。
・「community」→「公共」
地域のミニTV局(Community television)である「WEVP-TV」やそのスタッフは作中たびたび登場し、シナリオにも深く関わる。かなりの重要団体なのだが、この局のローカル性を指して使われているはずの「Community」が決まって「公共/公共の」と訳されてしまう。このため、この局がどういう性質なのかが分かりづらく、また作品のテーマの一つである「地域性」を把握しづらくしてしまっている。
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7 不親切な直訳調の訳
序盤から全編通して見られるが、特にアクトIIIの後半からⅣにかけて多い。
場面展開なども考慮すれば意味は一応は分かるのだが、言葉運びが不自然で読みにくい。
・「電力会社は、州政府がスポンサーしていた投資プログラムの一環として、かつてヴァーノンから相当な額の株を購入したが、その取り決めの条項として、ヴァーノンがこの地球上にいる限り日常作業には手を出さないというものだった。結論を言うと、彼の死体を識別する者がいなかったということだ・・・」
・「頂点テクスチャフェッチの親密な暖かみから、後者は30フィート以上の垂直クリアランスを必要とする、悪名高い様相まで、アーティストの幅広いスケールとインパクトの範囲を表しています」
前者はある土地の権利をめぐる説明の一部。「ヴァーノン」が元の権利者だとここまでの話で分かっているので意味あいは理解出来るものの、非常にぎこちない表現になっている。
後者は現代アート(インスタレーション系)展示会の入り口の説明書きである。
会場を回って展示作品を見れば「頂点テクスチャフェッチ」と「様相」が作品名だと判明するので、ぎりぎり意味が分かる。作品名に「 」を付けるだけでも、だいぶ分かりやすくなっただろうに……
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8 破壊的な機械翻訳
もうあきれるしかないレベルの意味不明の訳。アクトIIIからIV、特にIIIによく見られる。
・「あなたは森の中の木々に何が起こったのか知っていますか? 山火事はそれらをすべてクリアしてクリアします。それらは新しい木々のための部屋を作った」
・(いくつかの名詞を挙げたあとに)「と骨のこの老朽化したバッグが運営し、彼が目を覚まし、 死の恐怖をして維持する唯一のもののように見えました」
……などなど、支離滅裂すぎてもう原文の想像すら付かない。
アクトIIIでは登場人物が増え、人間関係がぐっと複雑になってくるのだが、このタイプの意味不明翻訳にまみれているために、重要な設定を見落としてしまいやすい。
実際に筆者も、英語版では初登場時にすぐ判明するはずの「主要登場人物のジューンバッグとジョニーがアンドロイドである」ことや、アクトIIIの序盤で説明されているはずのコンウェイとその雇い主リゼットの微妙な関係性など、かなり重要な要素を初回プレイではうまく読み取れなかった。
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【翻訳以外の問題点】
・アクトIVの「ラドバンスキー・センター」のシーンで発生するイベントのうち、ほぼ最後に発生する 「ビデオを見て解答するテスト」を終了できず、進行不能になるバグがある。
アクトの始めからやり直し、さらにセンター自体に入らない選択をすることで回避できるが、アクトも後半にさしかかる頃のシーンなのでやり直すのがかなり面倒なうえ、このイベントの最終盤の展開は見られなくなる。
実はこのバグ、何度か再現検証をしているうちに「本体の言語設定を英語に変えてシーンをやり直す」ことで無事その先へ進行できることが分かった。また、英語以外の全ての翻訳版で同様のバグが発生したため、「原語版にはない、翻訳版共通のバグ」である。
・発生条件は不明だが、「ゲームを進めているだけで取れるはずのトロフィー」を取得できない場合がある。選評作成時のプレイでは、クリアした状態で「アクトIII」「アクトIII-IV間の断章」のトロフィーが取れていなかった。(アクトIV以降のトロフィーは取得できている)
・アクトIII-IV間の断章で「人以外を左スティックで動かす」操作が初めて登場するが、説明が何もないので下手をするとイベントの始め方が分からないままになる。
【最後に】
いろいろと書いてきたが、あくまで「日本語翻訳版」についての選評である。
「名作」と評しても良い作品である原語版を貶めたり、批判したりする意図は本選評には無いことは最後に注記しておく。